2007年05月15日

最近のこと、いろいろ

日本神話をマインドマップにまとめた。一般に、未知の分野を学ぶ時、全体から入っていくというのが弁証法的である。というわけで、ネット上のウィキペディアや平凡社の『世界大百科事典』を参照して、日本神話、すなわち『古事記』の上つ巻の内容を、アバウトにマインドマップにまとめた。その後、高木彬光『古代天皇の秘密』を読んだ。マインドマップのおかげで概略はつかめたが、前二作のベッド・ディテクティブシリーズほどの感動は、正直なかった。課題が曖昧ということが大きかった気がする。

僕の専門たる臨床心理学のマインドマップも既にできあがっているが、これを元に自己講義法で知識を定着させていく作業はまだできていない。やばいな、何やってんだ。

古代史に関して八切止夫を読んでいるが、文章下手すぎ。読んでいてイライラする(南郷師範の文章が下手だとか悪文だとかいう話を聞いたことがあるが、僕はそう思ったことは一度もない。瀬江さんの文章はうますぎるが)。『古代史入門』は何とか読了したが、『天の日本古代史研究』は途中で挫折。『野史辞典』と『庶民日本史辞典』を比較すると、明らかに後者の方が初心者向けのようだ。後者の興味深い記事を読みつつ、初期の『日本原住民史』でも読んでいこうと思っている(『野史辞典』か『庶民日本史辞典』か忘れてしまったが、「私には『○○』や『××』という名著があるが」というような記述があった。笑った。しかしその大言壮語、嫌いではない)。それにしても八切止夫、通説と全く違ったオリジナルの論を展開している。文章が下手すぎるせいか、はたまた僕の読解力不足か、イマイチどういう主張なのか、完全には把握してはいないが、通説(=学校で教わる日本史)とは全然違う、奇想天外な物語であることは確かだ。それにしても文章が下手すぎる。本当に作家か? 口述筆記でも、ここまではひどくならないだろう、とか思ってしまう。

エレナ・ポーター『少女パレアナ』(角川文庫)を読んだ。南郷師範は取り上げていないようだが、認識論の教材として、非常に面白い。端的にいえば、我々の認識というのは、脳細胞が描く像であり、もっとも弁証法性豊かな・変化性に富む・存在であるから、いかようにも変化するし、変化させることができるという論理が、「喜び探し」ゲームという形で説かれている小説である。あるいは、対象の多様性=弁証法性が、説かれているといってもいい。我々は、我々が生活している世界の断片しか捉えられていないのであって、世界は無限の広さを持っており、さらに無限の多様性を持っている。我々が捉えているのは、対象のほんの一面であって、その捉えた対象の一面=認識=像によって、我々は感情的に支配されている。アホみたいな表現でいってしまえば、対象にはマイナスの面もあればプラスの面もある、ということだ。マイナスの面しか見えていないから、悲しくもなり辛くもなるのだが、プラスの面を積極的に探すことによって、嬉しくなり楽しくなる。観念論的にいえば、世界とは我々が創り出したものであり、我々の経験とはすべて主観的経験なのである。そのようなことが、感動的な物語として説かれている。さらに、社会的認識の変化・発展という点でも興味深かった。すなわち、パレアナという個人が、一つの村(?)の社会的認識を、一変させてしまうのである。歴史を動かす個人のミニマム形態といったところか。

友人から教えてもらった幸田真音、お兄ちゃんと同じ高校出身と判明。さっそく一冊小説を注文した。一日分の酒を控えれば、文庫本一冊を余裕で買うことができることに気がついた。

コーチング。最近流行だが、バカにできない成果を残している気がする。こういった分野で説かれている内容も、弁証法・認識論的に捉え返すことによって、しっかり論理化する、自分の実力と化す、ということが重要であるように思う。「論理的に捉え返す」ということが非常に大切だ。どんな対象であっても学ぶべき点がある。

5月になったので、灼熱の砂利道ジョギング再開。既に十分すぎるほどの熱さだ。昼間は灼熱の砂利道ジョギング、夜は普通に5キロ強のジョギングを生活化したい。

『「いのちの歴史」の物語』読書会、終了。次回からは、統計学読書会。大学院では、統計学をしっかり身につけることを第一の目標として研究したい。そのような研究ができる大学院を選ぼうと思う。

佐藤琢磨がポイントゲット。かなり運もよかったが、フィジケラを抜いて8位になった時、普段は冷静沈着な僕もほんのちょっとだけ興奮してしまった。
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2007年04月12日

『なんごうつぐまさが説く看護学科・心理学科学生への“夢”講義 』 第2巻発行!!

待望の『なんごうつぐまさが説く看護学科・心理学科学生への“夢”講義 』 第2巻が発行されたようだ。本日、現代社のHPが更新されていた(お兄ちゃん、買えよ)。

南郷ファンや心理学専攻の学生のみならず、人間のこころに関心のある全ての人、必読の書である。「いのちの歴史」からつながる「こころの歴史」が説かれた書でもある。

現代社のHPにアップされている目次を見ると、『全集』に収められたのと同じ論文からスタートしているような気がする。詳細は、読んでみないと分からないが。

今回も連載論文から、あちこち加筆・修正されているだろうから、それも楽しみだ。近々発刊されるはずの『全集』最新刊も、非常に待ち遠しい。
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尾瀬あきら『夏子の酒』(講談社漫画文庫)



尾瀬あきら『新装版 夏子の酒』全6巻(講談社漫画文庫)を読了した。簡単にいえば、兄の遺志を引き継いだ夏子さんが日本一(=世界一)の日本酒を創ろうと奮闘する物語であるが、面白く泣ける漫画である。

夏子の意気に感じて、東京帰りの同級生やダメ蔵元の息子が人生の再出発をする様など、非常にリアルで感動的だ。また、逆にそういった人々に励まされて、夏子が日本一の酒造りの決意を新たにする。こういった相互浸透も、見ていて気持ちがいい。

何度も何度も挫折しながらも、周りの人に助けられ、兄の遺志に励まされ、そして何よりも、「自分にとってはこれしかない」という夏子自身の野望のおかげで、困難を乗り切っていく。夏子は一度飲んだ日本酒は忘れず、杜氏のじっちゃんを凌駕する利き酒の天才的な力をもっている。こういった点は、『ガラスの仮面』の北島マヤを髣髴とさせる。

日本酒造りの過程や、杜氏や蔵人の生活、すぐれた蔵元の心意気など、勉強になる点も多かった。

一番興味深かったのは、夏子が「お酒は芸術ね」といったのに対して、父がいったセリフである。父親は、「それはどうかな」といい、「酒が芸術かただの致酔飲料かを決めるのは酒蔵の心意気次第だ」(2巻p.282)と名言を吐く。

つまり、芸術か否かは作者の認識が決定するということである。三浦つとむが聞いたら観念論的だといいそうだが、案外、一面の真理をとらえている気がする。紙パックで売られているような大量生産のポン酒はどう考えても芸術作品とはいえないが、たとえば山形の出羽桜、たとえば奈良の豊祝、たとえば静岡の臥龍梅などは、芸術作品といっても決して過言ではないと思う。杜氏を中心とした酒造りに関わる人々の心意気と技の結晶(量質転化)である。

日本酒の背後に、このようなさまざまな物語があるということを知ると、同じ日本酒でも、今まで以上に深く味わうことができるようになると思った。美泉のモデルになったといわれている福井の黒龍や、龍錦のモデルであるらしい山形の亀の尾も機会があれば飲んでみたい。
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2007年04月06日

新しいブログ

3月から新しいブログを始めた。三浦弁証法を分かりやすく解説していくブログである。題して、「よせふで いつげんが説く 中学生・高校生への“弁証法”講義」。思いっきり南郷師範の“夢”講義を真似てしまったのだが、お許しを。。。

ブログの目的は、何よりも僕が弁証法をもう一度初心に返ってしっかり学び直すことである。そのために、中学生にも分かる具体例を豊富に挙げて説くことを主眼としている。

土日は休日として、週5日制で書いていく予定である。乞う、ご期待!?
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2007年03月30日

高木彬光『密告者』(光文社文庫)



久々に高木彬光の推理小説を読んだ。高木彬光といえば、今までは神津恭介ものしか読んでいなかったが、この『密告者』の探偵は、検事・霧島三郎である。

内田康夫に比べると、高木彬光はいかにも社会派という感じである。この『密告者』は当時(1965年頃)はやっていたという産業スパイ物であり、しかも検事が探偵役なので、自ずと現代社会のこころのようなものが描かれている。

しかも本格ミステリである。アッと驚く結末にも、内田康夫小説に時々感じるような、不自然さがない。なるほどね! という感じだ。推理小説独特のスリルとサスペンス満ちた作品だった。

気軽な気分でスラスラ読めて、日本各地を案内してくれる内田小説もいいが、こういった少し重い社会派推理小説も非常に面白いと改めて思った。高木彬光の検事・霧島三郎シリーズのみならず、松本清張や森村誠一作品も、どんどん読んでいきたい。
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2007年03月24日

山村修『<狐>が選んだ入門書』(ちくま新書)



お父さんたちが通勤電車で手にする夕刊紙「日刊ゲンダイ」で22年間の長期連載となった<狐の書評>を書いてきた匿名の書評家<狐>が、初めて覆面をとって各分野から選んだ25冊をめぐって読書の愉しみを説いた本。

<狐>こと山村修氏は昨年に亡くなったそうだ。僕は日刊ゲンダイも読んだことがないし、当然そこに連載されていた<狐の書評>も読んだことはないが、この本を読むと、さぞかし面白い書評だったのだろう、と想像してしまう。

そもそも本を読むというのは、ある種、新しい世界との出会いでもあるわけだが、山村氏はその新しい世界を愉しく紹介してくれる人だと思った。

たとえば、僕は今まで「美術」というものに、それほど関心がなかったけれども、武者小路路穣『改訂増補日本美術史』の書評を読んで、速攻でこの本を注文してしまった。この本は、「日本美術の全史を平明・簡潔にガイドする『早わかり』の傑作」(p.183)なのあるが、ふつうの歴史教科書のような無味乾燥さを免れているそうだ。海外との文化的なつながりに目配りがなされており、「没個性どころか、この本には著者ならではの見解が、しばしば文面にさりげなく浮上してきます」(p.186)と解説されている。また、引用箇所が絶妙なせいもあるかもしれない。とにかく、読んでみたくなる書評なのだ。

他にも、武藤康史『国語辞典の名語釈』、萩原朔太郎選評『恋愛名歌集』、内藤湖南『日本文化史研究』、岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』などなど、読んでみたい! と思わせる書評が多かった。

また、文章の書き方、もっと限定して、書評の書き方、という点でも、学ぶことがあったように思う。というより、書評書きというのも面白い仕事だと思わせる何かがあったという気がする。

僕も、人を新しい世界に誘う<狐>氏のような仕事がしたいと思ったしだいである。
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2007年03月06日

木村達雄『透明な力』(講談社)



知人に勧めていただいた木村達雄『透明な力』(講談社)を読んでみた。副題には、「不世出の武術家 佐川幸義」とある。何でも佐川幸義という人物は、大東流合気武術宗範で、11歳で大東流・武田惣角に入門後、長い修行を経て師を越えたといわれているらしい。その佐川幸義の略伝と語録を、弟子の木村達雄がまとめたのが本書である。

恥ずかしながら、この佐川幸義なる武術家を、僕は全く知らなかった。しかし、この本に書いてあることが事実であれば、佐川幸義は間違いなく、名人・達人レベルの武術家であろう。相手を無力化する技術=合気を師・惣角から唯一受け継いだ人物だそうだ。合気なる技術を習得した唯一の人物だから、どんな人間が本気でかかってきても、あっという間に吹き飛ばしてしまうという。それも、かなり高齢(90歳くらい)になってからも、かなう者はいなかったらしい。それどころか、70を越えてからも、どんどん進化していったという。

この合気という技術は、植芝盛平が創始した合気道とはあまり関係がないというか、全然別物であるようだ。最初はこのことが分からなくて、ちょっと混乱してしまったよ。

「略伝」では、昔の武術家の生き方が描かれており、興味深かった。佐川の師である武田惣角は、全国を巡りながら金持ちに指導して回るという生活を送っていた。佐川も助手として、一緒に廻っていたようだ。

本書の中心は、何といっても「佐川先生語録」であろう。さすがに「不世出の武術家」と評されるだけあって、含蓄のある言葉が多い。主な内容は次の4点といってよいと思う。

@頭を使え
考え続け、工夫し、反省することが大切だ。

A執念が大切だ
意志、気持ちが何よりも大切で、だめだという時にナニクソとがんばる「ヤマト魂」がなければだめだ。


Bこれでよい、ということはない
人間、現状に満足すれば進歩が止まってしまうから、一生修業だと思って、いくつになっても進化し続けなければならない。

C自分で責任をとれ
何でも教わろうという他者に頼る気持ちではだめで、自分で開発していこう、自得しようという心構えがなければだめだ。誰かが強くしてくれるのではないのだ。

要約してしまうと平凡な感じがするが、本人の言には、武術家魂が溢れている気がする。これからの老人はかくあるべし、という見本であろう。

ただ、かなり精神論に偏っているきらいがある。しかも上達論などないし、「語録」もエッセイのような断片的なもので、全く体系的ではない。結局彼の合気も、だれひとり受けつくことができないまま、彼はこの世を去ってしまった。要するに、彼の業績が文化遺産としては、あまり形あるものとして残っていない。せいぜい、この本の語録と、弟子たちの技に残るのみ、という感じであろうか。

それでも佐川の、何としてでも合気を修得しようという執念や、そのために考え続け、工夫し続け、鍛錬を怠らなかった姿勢、すべてを自分の責任ととらえて反省し、研究して、高齢になってからも進化を続けた人生は、多くの見習うべきものがあると思った。やはり、どんな世界でも一流になるには、このくらいの執念と研鑽が必要になるのだろう。
posted by 寄筆一元 at 16:26| Comment(14) | TrackBack(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする