2005年08月20日

『綜合看護』2005年3号(現代社)

ショッキングな事実が説かれている。『育児の認識学』の著者、海保静子氏が急逝されたというのだ。

海保氏は、南郷継正氏の学問上の弟子の第一号であるとともに、南郷氏の業績に大きく寄与したという偉大なる理論的実践家である。南郷氏は今回の論文で、海保氏のことを次のように紹介している。

「海保静子は、私が海保に学問を教えているのか、私が海保に実力をつけてもらっているのかわからないほどの学問的実力を積んで、海保の専門であった認識論の分野では、世界トップといってよいほどの理論的実践家に育ったのでした。」

その一番弟子の突然の死に直面した南郷氏の無念さは想像するにあまりあるが、僕のように直接の面識はないものの、『育児の認識学』のすばらしさに感動して、次の論文・著作を楽しみにしていたはずの読者にとっても、残念で仕方がないことだ。謹んでご冥福をお祈りしたい。

さて、今回読んだ論文は以下。

瀬江千史「脳の話(18)」
神庭純子「初学者のための『看護覚え書』(6)」
瀬江千史・本田克也他「医学概論教育 講座(10)」
南郷継正「なんごうつぐまさが説く看護学科・心理学科学生への“夢”講義(27)」

「脳の話」では、個体発生と系統発生のつながりが説かれており、何となくわかってきたような気がする。
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2005年08月15日

日本弁証法論理学研究会編『学城(ZA-KHEM,sp)第二号』

『学城(ZA-KHEM,sp)第二号』を読了。全体的に、学問の香りが漂っており、読んでいると、相変わらず背筋が凍るというか寒気がするというか、そんな震えにおそわれる。魂が震えるという感じである。思えば、大学一年生の頃から「まだか、まだか」と待ちわびていた雑誌だけに、読んでいるときの幸福感はひとしおである。

それにしても、日本弁証法論理学研究会の実力は凄すぎる。それこそ南郷継正氏が統括しているのだろうから、氏の実力、その上達論、が凄いということもできる。一体何人の弟子がいるのか。ここまで弟子が育っているのだから、南郷氏の上達論がホンモノであるのは誰の目にも明らかだといえよう。

一回読んだくらいでは、何も分からないに近いが、一読後の各論文の感想や要約を簡単に書き留めておこう。読んだ順である。


13 南郷継正  武道哲学講義 〔T〕 PART3
        ―学問としての 「世界歴史」 とはなにか

まずは前回の復習ということで、「地球の歴史をみることによって、人類の歴史をアバウトにみることができる」という弁証法的な見方が解説されている。すなわち、世界歴史を理解する鍵は、地球の生成発展であるとし、「生命の歴史」を導きの糸とすることによって初めて、「世界歴史」が措定できたということが説かれている。「導きの糸」という言葉は、昔マルクスの唯物史観について学んでいたときによく聞いた言葉だが、はっきり言ってマルクスとはスケールの大きさが違いすぎる!!

その後は、学問としての「世界歴史」物語のサワリの概略が、ヘーゲルや滝村隆一氏を引用しつつ、説かれている。滝村隆一氏の世界歴史概念は、非常に高く評価されており、次のようにもいわれている。

「もしマルクスがわが師滝村隆一のこれを読んだら、どう思ったであろうか。おそらく、さぞくやしかっただろうと私には思える。ではカントのばあいはどうであろうか。カントもおそらく、わが師に感嘆しきったに違いないと思う。」

ヘーゲルは少し違うようだが、それでも凄まじい業績であったことがうかがえる。また、「滝村隆一」という言葉の前にはほとんど枕詞のように「わが師」という言葉が付いており、その学恩に対する敬意がしっかりと表されているように思えた。

肝腎の「世界歴史」であるが、これは「人類(として)の社会的認識=社会的労働の発展形態の歴史そのもの」と規定されている。劇画レベルも含めて、詳しく解説してあるので、何となくのイメージは描けたような気がしている。


6 瀬江千史  「医学原論」 講義 (第2回)
        ―時代が求める医学の復権

瀬江氏の論文は、「論理的とはこういうことをいうのだ!」というお手本に思えてならない。感動的なくらい気持ちよく読める。今度は瀬江氏の論文なり著作なりを、今回購入した万年筆で筆写していこうと思う。

さて内容であるが、特に興味深く読めたのは「医学教育における教科書の重要性」についてである。ここは僕が行っている英語教育の事実と重ねて読むことができた。最近、高校生が使っているような総合英語の教科書(『総合英語Forest』や『基礎からの新総合英語』など)は、英文法事項の、それなりの共通性に着目して、それらの文法事項をそれなりに整然と記載している。やはり、こういった教科書中心に学ばせる必要性を感じた。特に塾に来ている高校生は、学校の先生と、塾の先生が教えているわけで(しかも、毎年先生がかわりうる)、それぞれの先生はふつう多少なりとも違った説明の仕方をする。その時、教科書を使わないで学んでいけば、まさにバラバラな、何のつながりもない知識として蓄積されていく(あるいは忘却されていく)だけである。教科書を中心とした学びをすることによって、すなわち各先生の説明を教科書の全体像の中に位置付けながら理解することによって、それなりに筋の通った、一つのまとまりのある知識として定着していくのではないかと思った。基本の重視ということに関しても、最近、三年生の英文法の学び方(問題集中心)を観察していて、「これは違うのではないか?」と疑問に思っていたことと、まさに二重写しになった。詳しくは、また別の機会に書きたい。

今後、僕自身が心理学を学んでいく際にも、ここで紹介されていた教科書中心、基本中心の学び方を参考にさせてもらおうと思う。


3 本田克也  エンゲルス 『フォイエルバッハ論』 にみる、
               ヘーゲル哲学の真の学問的意義とは
        ―自然科学の新時代はいかにして拓かれたか

自然科学の革命的発展に、ヘーゲル哲学が大きく寄与したいたことが説かれている。すなわち、「あらゆる個別科学の土台になることこそが、いわゆる哲学の意義なのである」として、19世紀の三大発見を例に挙げて、詳細に説明されているのである。

『ヘーゲル論』ではなく『フォイエルバッハ論』である理由、19世紀の三大発見は、エンゲルスのいうように純粋な自然研究から出てきたのではなくヘーゲル哲学の偉大なる精華であること、「ヘーゲルとともに哲学は終結する」のではなく、エンゲルスこそ「ヘーゲルとともに哲学を終結させた」張本人であること、『フォイエルバッハ論』の最後の部分「ドイツの労働運動は、ドイツ古典哲学の相続者である」が苦しまぎれの弁明であること、などがよく分かった。

かつてヘーゲル哲学の上に自然科学が花開いたように、21世紀には南郷哲学の上にあらゆる個別科学が花開く予感がする。


1 近藤成美  マルクス「国家論」の原点を問う(2)
        ―ヘーゲルから継承した市民社会と国家の
         二重性について

クノーの『マルクス歴史・社会・国家学説』を取り上げて、<市民社会>とは何かを問う展開になっているが、難しい。まずヘーゲルの論が理解できないから、それがどうマルクスに継承されているのか分からないのだと思う。

全く内容とは関係ないことだが、僕は何故か近藤成美氏がけっこう若いのだと勝手に思いこんでいたのだが、このクノーの著作を初めて手にしたのが30年以上も前ということであるから、僕の想像よりは上なようだ。


2 加納哲邦  学的国家論への序章(2)
        ―滝村国家論を問う

この論文は、ヘーゲルを全面的に取り上げているためか、ちょっと分かりにくい。すっと入ってこない感じが何となくする。文章は、どことなく自信なさげな気がする(こんなことをいうと前蹴りを食らわせられるかもしれないが)。ともかく、くり返して読み込むほかない。


4 悠季真理  古代ギリシャの学問とは何か(2)
5 悠季真理  古代ギリシャ哲学、その学び方への招待(2)

「お前などに分かるわけがない」と言われるかもしれないが、この悠季真理氏、凄まじいまでの実力を把持されている気がする。「編集後記」には、学問的古典の「新訳(正訳)をと志している」とあり、自身の論文の中に引用しているクセノフォン、プラトン、ディオゲネス・ラエルティオス、カント、ダーウィン、ゲオルグリス(現代のギリシャ人研究者)などは全て古代ギリシャ語、ドイツ語、英語、現代ギリシャ語の原書から直接訳している(引用後の「筆者訳」の文字が格好いい)。しかし僕のいう「凄まじいまでの実力」とは、こういった語学力のことではない。直観的に、何か凄まじい哲学力といったようなものを感じるのだ。

それはともかく、前者の論文からは、古代ギリシャにおける「テオーリア」が実践と切り離されたものではなかったことを学んだ。すなわち、「あくまでも、日々生じるポリスにかかわる諸問題を扱う過程で、それらの問題解決に成功したり、あるいは失敗し、さらなる問題が生じてきたりするなどということを連綿と続けていくなかで、徐々に思索を深めていった」ということである。このことが、認識論的にも説かれている。

後者の論文には、古代ギリシャにおける対話とはいかなるものであったかが説かれている。これを読んで、長年の疑問が少し解消した。その疑問とは、「ソクラテスはあえていいますと、文章を書くほどの頭脳になっていなかった」、プラトンで「やっと学問としての言葉を書く文字に転化できるレベルの発展を自分の脳細胞にもたらした」、そしてアリストテレスのは「見事な論文体」(以上、南郷継正『弁証法・認識論への道』pp.158-159)である、というのはどういうことか、ということである。ところが、紹介されている三つの対話を読むことによって、文章を書くほどの頭脳になっていなかったというソクラテスのレベルが、アバウトにイメージできたのである。

悠季真理氏の論文は、次回も非常に楽しみだ。僕が(現在の)京都大学では見出すことができなかった真の哲学が、ここにはある!! そんな気がしている。


7 諸星史文  学問形成のために問う医学の歴史(2)
        ―医学史とは何か

現在「医学史」とされている書物の中身は、医療史レベルでしかないという内容。


8 小田康友  日本近代医学教育百五十年の歴史を問う
        ―医学教育論序説

読みやすかった。戦前日本における西洋哲学者の実力が高かったことにも触れられている。田邊元(これは悠季氏の正訳を待つまでもなく、日本人であるから、その著作は日本語で書かれており誤訳の心配はない)を読まねば、と思った。


9 北嶋  淳  人間一般から説く障害児教育とは何か

心理学ともかぶりそうな内容で興味深い。『育児の認識学』の論理でもって、視知覚異常と、その指導方法の意味を説いている。筆者は、歳をとってから空手を教わり始めたらしい。


10 横田政夫  近代建築運動における機能主義重視の欠陥
        ―機能主義とは何か
 
創って使うの論理が、見事に建築一般論に適用されている。ヘーゲル『美学』の引用もある(さすがに筆者訳ではないが)。


11 井上真紀  施身聞偈(悟りへの道を考える)

『本生譚』の一話を改作した物語。論文ではない。小説形式で、悟りへの道が考察されているという感じか。


12 田熊叢雪  現代武道を問う 〔T〕 ―居合とは何か(2)

技を見る実力について触れられている。素人には見えないものが見える、それが専門家である。居合をやりたくなる論文だ。
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2005年07月23日

藤永保『発達の心理学』(岩波新書)

本書は1982年発行とやや古いが、その分、一昔前の教養の香りが漂っている。筆者は旧制高校最後の世代らしい。

何となくまとまっていない印象を受けるが、僕なりに本書の内容を整理すると次のようになる。すなわち、@developmental psychologyの持つ原パラダイム=生得説とAそれに対立するパラダイム=経験説を対比しながら、B両者を統一するより普遍的なパラダイムを模索しているのである。

以下、それぞれのキーワードを挙げておこう。

@遺伝  素質  氏  成熟  本能
 生得説  先決説  予定説  合理論  宿命論 
 児童中心主義  小さな大人  気質論的発想
 自然観察  記述

A環境  育ち  学習  タブラ・ラサ
 行動主義  社会化  経験論  変化可能性
 実験  比較法  因果的説明

B臨界期  相互作用説  シェマ  同化  調節
 後成説(漸成説)
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2005年07月11日

下條信輔『サブリミナル・マインド』(中公新書)



「サブリミナル」といえば、映画の映像の中に、見えているという意識を伴わないほど短い時間(3ミリ秒)だけ「コークを飲もう」のようなメッセージを入れたところ、コーラの売り上げが上がったという、あの有名な「サブリミナル・カット」の実験のことを想起する。しかし本書は、この実験を詳解したものではない。

副題に「潜在的人間観のゆくえ」とある。すなわち、本書では、人の知覚や行動は、自分で意識化し言葉にできる心のはたらきよりも、自分でも気づかない無意識的な心のはたらきに強く依存しているという人間観=セントラル・ドグマが、様々な資料に基づいて検討されている。それとともに、この「認知過程の潜在性」あるいは「潜在的な認知過程」を認める人間観が、われわれの日常生活や社会に対していかなる意味を持つかというテーマにまで言及されているのである。

本書は日本を代表する認知心理学者である下條氏が東大教養学部等で行った講義をまとめたものであるが、その「講義の最終的なメッセージとして大事なこと」を次のようにまとめている。

「つまり人の心が顕在的・明証的・自覚的・意識的な過程だけではなく、潜在的・暗黙的・無自覚的・無意識的な過程にも強く依存しているということ。さらに忘れてならないのは、動物の進化の過程を見ても人の発達の過程を見ても、暗黙知がつねに先立ち、明証的な知の基礎となっていることです……。
 そしてもっと大切なのは、暗黙知と明証的な知とは互いに密接に作用しあっていて、それが人間の心のはたらきを人間独自のものにしているということです。」(p.15)

こうして、心理学の様々な知見が、「潜在的な認知過程」という一大論理に収斂する形で説かれており、非常に面白く、まとまりのある内容となっている。心理学の基礎的な知識、例えば、認知的不協和理論、帰属理論、ジェームズ=ランゲ説、分割脳の実験、盲視覚、記憶の分類、健忘症、カクテルパーティ効果、プライミング、単純呈示効果等々も分かりやすく説かれているため、心理学の入門書としてもお勧めできるものとなっている。「ともすれば無味乾燥で画一化しがちな入門講義を、魅力ある切り口で再編成しようとした」(p.302)という筆者の目標は、見事に達成されているといえる。

最近、本書とは別に、心理学の概論書を二冊読んだ(『心理学』(東京大学出版会)『心理学』(有斐閣))。読んでみて、純粋に面白かった。今まで、三浦・南郷関連の学問を別にすれば、経済学、教育学、倫理学、環境学などをかじってきたが、そのどれよりも面白く、興味が持てる。現在一般的に認められている学問分野の中では、認識論に一番近いということが関係しているのかもしれない。また、これまでに膨大な数の興味深い実験が行われてきたことに驚いた。系統発生的な研究も、思いのほか進んでいる(単に無知だっただけだが)。認識学の構造論を構築するための事実は、これまでの心理学や動物行動学などの研究で出尽くしているのではないかとも思えた。

たとえ出尽くしているにせよ、これらの成果を一つの学問体系としてまとめるのは、非常に困難で、非常に高度な論理能力が要求される仕事である。僕が学んできた認識論・認識学とは理論的立場が違うとはいえ、『サブリミナル・マインド』は「専門化し細分化しすぎた自分の分野を再び統合し」(p.302)ようとした一つの試みである。
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2005年07月07日

三浦つとむ『人生――人間のありかたと生きかた』(講談社ミリオン・ブックス)

三浦つとむ『人生――人間のありかたと生きかた』(講談社ミリオン・ブックス)を古本屋で発見して読んだ。わりと初期の著作であるが、読んでいる間は「流石三浦つとむ!」と唸りっぱなしであった。目次は「Logic Board ―どう考えるのが正しいか」で紹介されている。

目次を見ても明らかなように、非常に幅広いテーマが扱われているが、今回は「学び方」に焦点を当てて考えてみたいと思う。まずは、関連する部分を引用する。

「完全な真理というのは、真理をつかんだ人間が自分の実践をとおしてその正しいことを証明し、自分の身につけて、いつでも実践の指針として役立てられる状態におかれている真理であり、宙に浮いて逆立ちしている真理というのは、ことばで教えられ本で読んで頭の中にうつしかえられただけの真理、真理をつかんだ人間の実践とむすびつかずにまだ身についていない真理である。」(pp.68-69)

「学ぶということは、自分のぶつかっている問題を解決するために、それに必要な知識を直接に間接に身につけることであり、完全な真理を獲得することである。」(p.72)

ここで述べられている「完全な真理を獲得する」ための学び方を、僕は「実学として学ぶ」としてとらえている。

実学というと一般的には、「実際に役立つ学問。応用を旨とする科学。法律学・医学・経済学・工学の類。」(『広辞苑』第五版)とか、「理論より実用性や技術を重んじ、実生活にすぐに役立つ学問。農学・工学・医学など。」(『例解新国語辞典』第六版)などと言われている。確かに僕のいう「実学として学ぶ」というのは、「実際に役立つ」ように学ぶという意味である。しかし、医学は実学で哲学は虚学だ、というような区別ではないと僕は考えている。例えば、医学生が学んでいる膨大な量の知識が、全て「実際に役立つ」であろうか。また、哲学が「実生活にすぐに役立つ学問」ではないと言い切れるであろうか。答えは否である。医学とて、役に立つような学び方もあれば、役に立たない、単なる知識と化す学び方もある。哲学といっても、普通いわれているような実際の役に立たない丸暗記(などというと批判されそうだが、僕の理解ではカントやヘーゲルを、何ら学的実践を行っていない学部生や院生、大学の先生方が、ただその著作を読んだだけで理解できるはずがないから、結局自分なりの解釈を暗記しているだけである。これはイチローのバッティングを素人が見て理解できるか、武道の達人の動きを素人が見て理解できるか、より一般的には達人の表現を見ただけで、その背後にある認識を追体験できるのか、できるはずがないということと全く同じである)の学び方だけでなく、実生活に役立つような学び方もあるはずである。河合栄治郎は『学生に与う』の中で次のように力説しているが、これは哲学を実学として学べということだと僕は理解している。

「理想主義は高遠なる哲学である。しかし高遠なるが故にこそ、われわれの日常生活の隅々にまで、浸透せしめなければならない、実にわれわれのあらゆる生活場面まで、漏らすことなき指導の原理となりうること、ここに理想主義の哲学としての特質がなければならない。」

「人間の解剖は猿の解剖のための一つの鍵である」(カール・マルクス「経済学批判への序説」、『経済学批判』国民文庫、p.301)的な観点から、三浦つとむの「完全な真理を獲得する」ための学び方を、僕的にいえば「実学的に学ぶ」ということを、南郷継正技論的にとらえてみると、「使うために創る」とスッキリとまとめることができると思う。すなわち、いくら形が見事であっても、使えない技は意味がない。技とはそもそも使うために創るという媒介関係があるのだから、使えるように創らなければならない。いうまでもなく、弁証法などの知識も、認識の技である。

使うために創った技と、単に形だけ見事に創ったが結局使えない技の典型として、英語圏に留学した高校生などが話すブロークン・イングリッシュと、いわゆる受験英語が挙げられる。前者はともかく会話によるコミュニケーションのためにそれなりに使える技である。それに対して、後者は英米人にも劣らない正確で細かな文法知識を持っている受験生もいるほどだが、すぐに英会話に使える技であるとは言い難い(もっとも、大学入試には使えるが)。

では、実学として学ぶ、あるいは使うために創るには、どのようにすればよいのか。答えは三浦つとむもいっているように「実践をとおして」学ぶということである。板倉聖宣的にいうと「科学的認識は実験によって成立する」である。例えば、弁証法の量質転化の法則を実学として学ぶとは、頭の中に量質転化の像を創ることである。その像を使えるように創らなければならない。単に教科書を読んだだけでは、薄っぺらな知識になってしまい、ひどい場合は「量的変化は質的変化をもたらす」という文字表象があるだけである。これでは「実践の指針」として、現実の対象の中から弁証法性を見出し、それを問題解決の役に立てることなどできない。そこで、様々な実験をくり返して、量質転化の像を厚みのあるものにしていかなければならない。事実と繋げて理解していく、といってもいい。実験は自分が主体的に行うのであるから、その結果創られていく像には主体性が帯びる(つまり、自らが、自らの責任で自ら使うために創ったという性格)。また、自らの五感器官を通して量質転化の事実を反映させることになるのであるから、自分の頭の中には量質転化の像が五感情像として創られていくことになる。単なる読書によって得た知識は、一感情像であるから、その厚みが全く違う。このようにして実験をくり返しの上にもくり返すことによって、「量質転化は絶対に間違いない!」という確信にいたったとき、量質転化の知識は、単なる知識から論理になったといえるのではないか。この一連の学びの過程を僕は「実学として学ぶ」ととらえているのである。

以上要するに、三浦つとむのいう「完全な真理を獲得する」とは、実学として学ぶということであり、これは観点次第では、使うために創るとか、実践的に理解するとか、事実と繋げて理解するとか、厚みのある像を創るとか、主体的に学ぶとか、論理を五感情像として創るとか、知識を論理化するとかいったように、様々に表現可能である。
liger_oneさんへ
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2005年05月30日

『学習漫画 世界の歴史』全20巻+別巻2(集英社)



世界史が学べるマンガ。こういったマンガで歴史を学ぶ一番の利点は、イメージが描けることである。高校で学ぶ世界史は、極端にいうと、単語を暗記するだけで、具体的な状況が全然像として描けない。ところが、マンガであれば、歴史的な事件が生き生きとした映像として思い浮かべることができるのである。

全巻、別の監修者と漫画家によって作られているが、シリーズとしての統一性もある。それぞれの章の始めには、ミネルヴァのフクロウらしき鳥が時代背景などを説明する。そして実在しない人物や家族などを主人公にして、それぞれの時代の特徴や歴史的事件などを具体的に描いている。

マンガであるから、当然情報量が不足する。これを補うために、コラムや欄外の注釈、巻末の「世界史おもしろ資料館」なども充実しており、必要に応じて細かく歴史を知ることができる。また、一番最後のページには、巻ごとに「自動車の歴史」「貨幣の歴史」「映画の歴史」などがイラスト付きで簡潔にまとめられている。

全体として非常に出来のよい作品だと思う。高校生などが、授業の進度に併せて、このマンガで予習しておくと、非常に効果的だと思われる。

次は『日本の歴史』の方を読んでみたい。これも非常に楽しみだ。
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2005年05月29日

入手困難な本

僕のもっている入手困難な本を紹介しよう。

1.滝村隆一『唯物史観と国家理論』(三一書房)

滝村隆一氏の昔の著作は手に入りにくいものがいくつかあるが、これは極めつけ。『国家論大綱』が出るまでは、滝村国家論の中心的著作として位置付けられていたように思う。因みに、おそらく日本で一番多く滝村氏の著作を所持しているのは僕だと思う。


2.シュテーリヒ『西洋科学史T〜X』(現代教養文庫)
  シュテーリヒ『西洋科学史 上・中・下巻』(商工出版社)

医学者・瀬江千史氏が、「科学史を知るうえで必読の書」(『医学の復権』p.137)、「大学の『一般教養』としての科学の歴史を――自然科学も社会科学も含めて――概観するには、シュテーリヒの『西洋科学史T〜X』(菅井準一他訳、現代教養文庫)に優る書はありません」(『看護学と医学(下巻)』p.222)と絶賛する本。しかし、「必読」であるにもかかわらず本当に入手困難。学生時代、出版元の社会思想社に電話して、再版の予定はないのかと聞いたが、ないという返事だった。それからしばらくして、社会思想社自体がつぶれてしまって、同じく現代教養文庫の河合栄治郎『学生に与う』すらが、入手困難になってしまった(もっとも、こちらは万能書店でオンデマンド版、eBookJapanで電子版が購入できるが)。商工出版社版は、現代教養文庫版の元になったもの。これは京大近くの古本屋で、25000円くらいで売っていた。あまりにも高くて購入しなかったが、ネット上の古本屋で、もう少し安値で発見。即購入した。こんなことを言うと反感を買いそうだが、おそらく日本で一番多く『西洋科学史』を所持しているのも僕だと思う。


3.アイザック・アシモフ『化学の歴史』(河出書房新社)

今回紹介する本の中で、一番最近に発見・購入した本。まだ読んでいない。高校レベルの化学を復習したらすぐ読むつもりである。訳者のあとがきに本書の目的が書かれている。

「高等学校や大学の初年級では、化学の授業において、すでにでき上がった概念や知識について学ばねばならぬことが多い。しかし、科学教育の一般的目標としては、むしろそのような概念や知識が形成されるにいたった過程を理解することが望まれるのであるから、この点については、教師も学生も充分に注意し、努力しなければならない。その一つの手段としては、学生が教科書やノートで学習することと併行して、適当な副読本を読むということが奨励される。本書は、アメリカにおいて、まさにそのような目的にそうための一連の科学書の一つとして選ばれたものであった。」


4.中岡孝『社会科学読本 自然・人間・社会』(牧書房)

南郷継正氏が『武道講義第四巻 武道と弁証法の理論』(三一書房)の中で、三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)と併せて弁証法の教科書であるとして推薦されている本。『武道と弁証法の理論』の中で南郷氏の弟子である近藤成美氏は、『自然・人間・社会』の意義を次のように説いている。すなわち、『弁証法はどういう科学か』には、「世界の一般的な変化・発展・運動の有様」という「肝心の部分がそっくり省略されてしまっている」ので、「我々としてはやむを得ず『自然・人間・社会』で学ばねばならない」、本書を読めば「弁証法とは単なる発想法や方法論ではなく、世界観レベルで把持すべきものである」ということが感じられるから、この二著の併読が必須である、と。しかし、これまた「必須」であるにもかかわらず、非常に手に入りにくい。出版年が昭和22年なので、入手しても紙がボロボロ。よほど慎重に読まなければならない。それでもスケールの大きさには感動する。社会科学読本といいながら、社会を説くにして宇宙から説き起こしているのであるから。


5.ポレヴォーイ『真実の人間の物語 上・下』(青銅選書)

主人公たるアレクセイ・メレーセェフは、「実在の人物であり、第二次世界大戦中、空中戦で墜落して両足を切断した後に、必死の努力で義足を訓練し、再び戦闘機を駆って独機を撃墜した本物の勇者」(南郷継正『武道修行の道』三一新書、p.13)である。そんな勇者の見事な生き様を描いた物語。昔、共産党の学習文献であったらしいが、その割にはあまり見かけない。


6.三浦つとむ『弁証法をどう応用するか』(青春新書)
7.三浦つとむ『共産党 この事実をどう見るか』(青春新書)

三浦つとむ氏の青春出版の著作は、なかなか手に入らない。僕はこの二冊しかもっていない。『マルクス主義の基礎』や『こう考えるのが正しい』は、『三浦つとむ選集』に入っているのでいいとしても、『社会とはどういうものか』は『選集』に入っていないだけに、非常に欲しい著作だ。どなたか譲ってください。


8.ディーツゲン『人間の頭脳活動の本質』(未来社)

三浦つとむの師たるディーツゲンの代表的著作。同じ著作の岩波文庫版は、1990年代に重版されたこともあり、そこそこ手にはいる。ディーツゲンの著作は他に改造文庫からも出ている。『弁証法的唯物観』『哲学の実果』『マルキシズム認識論』の三つである。改造文庫は著作権が切れないようにするためか、昭和52年に復刻版が出ており、ディーツゲンの著作も独特の布製装幀でわりと簡単に入手できる(ディーツゲンの著作が入手できずに困っているディーツゲンファンにアドバイスしておきたいことがある。それは、改造文庫版では著者名が「デイツゲン」となっているため、「デイツゲン」あるいは「ディツゲン」で検索しないと引っかからない場合もあるということだ)。というわけで、ディーツゲンの著作でもっとも入手しにくいのは、未来社版の『人間の頭脳活動の本質』なのである。なお、僕はディーツゲンのおそらく全ての著作のドイツ語原文を持っている。


9.南郷継正『南郷継正 武道哲学著作・講義全集(2)』(現代社)

2003年末に出版されて、すぐさま品切れになってしまった。2500部限定なので、かなり入手困難なはず。ただ、長期的には様々な形で出版されるのではないだろうか、などと予想している。元となった『弁証法・認識論への道』は、僕の人生を大きく変えた著作。この著作に出会っていなければ、僕の人生はつまらないものになっていたに違いない。
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2005年05月24日

書評:原田隆史『成功の教科書』(小学館)

原田隆史公式HPに『成功の教科書』の書評が掲載されている。以前書いたものを少し手直ししているので、ここに改めて掲載する。


だれもが目標を設定し達成できる入門書

 近頃、学校卒業後に就職も進学もしていないニートと呼ばれる若者が急増している。確かに、背景には社会的要因がある。労働需要の不足による求人の減少、労働力需給のミスマッチの拡大などである。しかし、若者の側にも問題はある。それは、将来の目標が立てられない、あるいは、目標を実現するための実行力が不足しているという、若者の個人的な問題だ。
 そのような若者にぜひとも読んでほしい本が登場した。それが元中学校教師の原田隆史氏が書いた『成功の教科書』である。原田氏によると、成功とは「自分にとって価値あるものを未来に向かって目標として設定し、決められた期限までに達成すること」である。したがって、成功するための方法が書かれている本書は、目標が見出せない、あるいは目標を達成する方法が分からない若者にとっては、まさに福音の書といえるのである。

 『成功の教科書』で展開されている原田メソッドの一番の特徴は、書いて書いて書きまくるという点である。目標を設定する際に、とにかくたくさんのことを書くのである。本書でも、「書いてみよう」というコーナーが24も用意されており、原田メソッドを理解しながら、実際に2週間先の目標が設定できる仕組みになっている。
 なぜこれほどまでに書くことにこだわるのか。それは、書くことによってイメージが強化されるからである。人間は、イメージしたことでなければ実現できない。イメージより上には行けないのである。逆にいうと、鮮明にイメージできることは必ず実現できる。これは原田氏の20年間の指導の結論である。ここから、イメージを高めるための方法として、自分の考えを対象化するということ、すなわち書くということが重視されてきたのである。書いて書いて書きまくることによってイメージを極限まで高めた結果が、「予告優勝」である。原田氏が育てた中学生の中には、「中学最後の大会で中学日本新記録を出して優勝するからマスコミを呼んでくれ」と優勝を予告しておいて、事実その通りに日本新で優勝した生徒がいるという。まさに思い通りの優勝、イメージ通りの優勝である。
 もちろん、書くといってもただやみくもに書けばいいというわけではない。付録の「長期目標設定用紙」に書くのである。これこそ目標設定のための「究極のツール」である。3段階に分けた「成績目標」、毎日継続して行う「ルーティン目標」やいつまでにやると決めて行う「期日目標」、それに「心・技・体・生活・その他」のそれぞれに分けて行う「成功のための自己分析」、目標を腐らせないための「成功へのセルフトーク」等々、原田メソッドのエッセンスが詰まっている。この「長期目標設定用紙」のたくさんの項目を全て肉筆で書いて、さらに1週間に最低1回は内容の更新を行うのである。こうすることによって、成功へのプロセスが鮮明にイメージできるようになるのである。

 心=イメージを重視する原田氏は、『成功の教科書』において、イメージが湧きやすい表現を駆使している。抽象的で、何を言っているのか分からない、という部分は全くない。成功のためのポイントが、映像として鮮明に描けるのである。だから、記憶にも残るし、「やってみよう!」という気になるのである。
 たとえば、イラストが非常に効果的に使われている。小さな成功の積み重ねの先にしか、大きな成功はあり得ないということ(スモールステップの原則)を説明する際に、小さな階段を順調に登っている人間と、自分の背丈ほどもある階段を登ろうとして失敗している人間をイラストで描いている。これを見れば、スモールステップの原則が鮮明に記憶に残る。こういったイラストがたくさん使われている。
 また、言葉の使い方も工夫されている。たとえば、「危機管理」のことを、「未来に起こりうる問題を予測し、解決策のミサイルを発射!!事前に障害を取り除いておく」と表現している。別のところでは、「優先順位の高い行動から実践していくこと」を「おかず理論」と呼んでいる。これは、次のようなエピソードからできた言葉である。生徒がお弁当を食べるとき、大好きなおかずを最後にとっておいたので、いたずらで原田氏がそのおかずを横取りして食べたのだという。そうして、好物(重要事項)を後にとっておいてはいけない、時間が足りなくなったときの被害を最小限におさえるために、好物から食べる(優先順位の高いことからまず手をつける)べきだと諭すということである。ことわざのように、表の具体的な事実から、裏の一般的な法則を伝えるユニークな表現である。こういった表現が至るところで使用されているために、本書は非常にイメージの湧きやすい、分かりやすい内容になっている。

 このようなイメージの湧きやすい言葉を駆使する実力は、原田氏の20年間にわたる教育実践によって磨かれてきたのであろう。おそらく、抽象的な言葉など理解できない中学生を相手に、何とか自分の思いを伝えようと指導してきた結果、原田氏オリジナルの言葉が生まれてきたのだと思う。
 成功はだれにでも身につけられる「技術」であると捉える見方も、自らの指導の中から浮上してきたのだろう。スポーツ推薦のない公立中学校で、7年間に13回の陸上日本一を達成したのである。原田メソッドを創り、徐々に発展させつつ検証していく中で、「成功はだれにでも可能だ!」「成功の技術はだれにでも身につけられる!」という確信に至った違いない。
 原田メソッドは、原田氏自身の教育実践が下敷きになっている。だからこそ、『成功の教科書』を読んでいると、原田氏の教育者魂が伝わってくるのである。成功のプロ=自立型人間を育てたいという原田氏の教育理念が、自然とにじみ出ているのである。

 『成功の教科書』は原田氏の教育実践の中でくり返しくり返し実証された内容であるだけに信頼できる。読めば成功へのプロセスが鮮明にイメージできる、非常にやる気の出る本である。方法も単純明快、「長期目標設定用紙」を書きまくる、これだけである。ここに全てのエッセンスが凝縮しているのである。
 スマートに読了しただけではダメである。本書を手にしたら、とりあえず「長期目標設定用紙」を100枚コピーしよう。覚悟を決めるのだ。1週間に1枚なら、たかだか2年分だ。初めのうちは何度も何度も書き直すことになるから、1年以内になくなるはずだ。100枚書ききったとき、成功のプロ=自立型人間への第一歩を踏み出したといえるだろう。
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2005年05月21日

『綜合看護』2005年2号(現代社)

この雑誌は、武道哲学・武道科学創始者の南郷継正氏が主宰する日本弁証法論理学研究会関係の先生方が論文を連載されている。もちろん、『綜合看護』というタイトルからも分かるように、論文のテーマは看護学やその周辺分野に限られている(より広いテーマについては、去年現代社から発刊された学術雑誌『学城 ZA-KHEM,sp』で説かれている)。

読んだ論文は以下。

瀬江千史「脳の話(17)」
瀬江千史・本田克也他「医学概論教育 講座(9)」
神庭純子「初学者のための『看護覚え書』(5)」
南郷継正「なんごうつぐまさが説く看護学科・心理学科学生への“夢”講義(26)」

いずれも非常に高度な内容が説かれているが、読んでいると心地よい。僕の感性にぴったりくるのである。と同時に、自分の怠け心を反省させられ、「これではイカン!」という気持ちになってくる。

以前この雑誌に連載されていた「看護のための『いのちの歴史の物語』」という論文を、重要なところを抜き書きしながら読み返したところ、少し理解が進んだ。同じように、現在連載されている諸論文も初めから読み返してみようと思う。
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福川祐司『吉田松陰』(講談社火の鳥伝記文庫)



子ども向けにやさしく書かれた吉田松陰の伝記。イラストや人物の写真、肖像画が豊富。

松陰の教育というと、松下村塾での弟子の指導をすぐ想起してしまうが、松陰自身がどのように教育されたのかも問題にしなければならない。松陰は幼い頃から畑で、叔父によって教育された。ここで武士としての規範をたたき込まれる。その後、佐久間象山など当時一流の学者から次々と指導を受けつつ、自己の信念を築いていく。また、読書量も半端ではない。二ヶ月ちょっとの間に、100冊を超える書物を読んだこともあるという。獄中にあっても読書を欠かさなかった。

それにしても松陰の感化力は凄い。獄中で囚人たちに孟子の講義をするやいなや、囚人たちの心を揺り動かし、手のつけられなかった囚人たちを変えていく。そして極めつけはやはり、松下村塾での教育だ。後に禁門の変で死亡する久坂玄瑞、騎兵隊を創って幕府軍に対抗した高杉晋作をはじめ、維新後まで生き残って総理大臣になった伊藤博文や山県有朋など、時代を動かす人材を数多く輩出することになった。しかも、松下村塾で松陰が教えていた期間は、わずか一年と一ヶ月というから驚くほかない。これだけの短期間に、若者の魂に火をつけることができたのだ。

実は僕が吉田松陰に興味を持ち始めたのは、小室直樹氏と原田隆史氏がそれぞれ絶賛しているからである。最近読んだ『修身教授録』の森信三氏も、当然高く評価していた。学校で習う吉田松陰といえば、井伊直弼によって安政の大獄で処刑された人というくらいではないだろうか。学校の社会科レベルでも、もっと注目されるべき人物だと思う。

また、講談社火の鳥伝記文庫というシリーズは今まで知らなかったが、なかなか良さそうだ。中学や高校の時に、こういった伝記で過去の偉人の人生に触れることは非常に重要であるという気がする。
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2005年05月20日

ミヒャエル・エンデ『モモ』(岩波書店)



「時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」

「小学5,6年以上」対象の児童文学であるが、単純に面白い。わりと難しい語彙も使用しているものの、小学生でも読めるように、少し難しめの漢字にはルビが振ってある。小学生の頃にこのような文学作品に親しんでいれば、今頃もう少し感性豊かな人間になっていただろうに、などと思った。
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2005年05月11日

為近和彦『忘れてしまった高校の物理を復習する本』(中継出版)



高校で習う物理が概観できる良書。受験用というわけではないので、これを読めば大学受験の物理の問題が解けるというわけではない。しかし、その分、物理学の発展の過程が克明に描かれている、すなわち、物理学の歴史に重点を置かれている。そこがまた良い。

「物理学の歴史の流れを考えると、実験が先の場合もあれば、理論が先の場合もあります。その歴史の流れのとおりに学習するのがもっとも効果的であり、先人たちの思考と同様に考えることができるようになるのです。」(p.285)

この箇所などを読むと、著者が、ヘッケルのいう「個体発生は系統発生をくり返す」を何となく直観的に把握している証左とも読める。

このような書物で物理学の概観を得た後、中学校レベルの『新しい科学の教科書』等を読んでみるのも、また為になるであろうと思われた。
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2005年05月10日

下村湖人『論語物語』(講談社学術文庫)



齋藤孝氏が頻りに勧めている(『声に出して読みたい日本語』『読書力』『理想の国語教科書赤版』『人間劇場』。他にもあるかも)ので読んでみた。面白い!

これは、もともと断片的な講義録である『論語』にストーリーをつけて物語化した著作だ。孔子と弟子のやりとりが生き生きと描かれており、『論語』の言葉の意味がよく伝わってくる。『論語』入門としても、かなりの価値があると思う。

高校生の時に、横山光輝のマンガ『史記』を読んで、漢文の内容に興味を持ったことがあった。このマンガを読んでいたおかげで、テストでほとんど本文を読まずに設問に答えることができたということもあった。『論語物語』も同じく、漢文に興味をもつためには、最適の著作の一つだと思う。今度、塾の高校生にでも勧めてみよう。

ところで、齋藤孝氏といえば、DAKARAのCMがちょっと面白い。ここで全てのCMがみられる、と書いてあるが、堂本剛のがない。それはともかく、DAKARAのCMか、齋藤孝氏のCMか分からないくらい、自説を宣伝している感じだ。意味がよく分からないのもあるし。それにしても、この人は今後もっとメジャーになりそうな気がする。
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2005年05月03日

栗山実『キャリアアップの勉強法』(河出書房新社)

いわゆる「勉強法」の本だが、指導体験に基づく新しい手法が盛り込まれている。勉強法といっても、主に資格試験取得のための勉強法について書かれている。

あるテキストを読む際に、目次を利用して事前に全体像を把握しておく、という点では、マインド・マップの有機的学習法や、マインド・マップを利用したフォトリーディングと同じである。しかし、その独自性は、目次に対して「コメント」をつけるという点にある。これは「コメント法」とか「自己講義法」とか呼ばれているが、自分の持っている知識を総動員して、目次のみをヒントとして本文を予測し、それについて自分自身の言葉でコメントを発するという方法である。書くのではなく、話すという点にも独自性がある。

このように事前に目次に対してコメントしておくことで、目次に吸引力をつけるのがねらいだ。目次にたくさんの仮説や疑問符を取り付けておくと、「広範できめ細かい『問題意識と仮説』という網に、新情報(新しい本)という魚が一網打尽にかかってしまう」(pp.167-168)のだ。つまり、本文の理解と記憶が格段に強化されるわけである。

また、「テキストの目次を覚えておけば、その目次の言葉がヒントになって、テキストを見なくてもいもづる式に本文のほうへ連想の環が広がって」いく、つまり「明確に記憶された目次を媒介として、本のないところでも連想学習ができるように」(p.176)なるという効用もある。これだと、細切れのわずかな時間でも学習できることになる。

このようなコメント法を核とするシステム勉強法は、やはり司法試験の基本書の学習などに特に威力を発揮しそうだ。僕も、弁証法・認識論の基本書、あるいは心理学・教育学の教科書で試していきたい。

なお、本書の最後にあった「英単語クイズ」は、清水かつぞー『英単語ピーナツほどおいしいものはない』を彷彿とさせる内容だった。
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2005年05月02日

森信三『修身教授録』(到知出版)



天王寺師範学校での講義録だが、現在でも教師(志望者)必読の書といってもよさそうだ。本当に心が洗われるようである。

二度とない人生を、志を立て公のために尽くす(これが日本精神)にはどうすればよいか、ということが、具体的な実践につながる形で説かれている。明治以来今日まで、教育界には「この人を見よ」といえる偉人が生まれていないことを嘆き、偉人になるための必須要素たる情熱、意地、ねばり等についても触れている。

教育界の先哲として、吉田松陰とペスタロッチを特に重視していた。この二人については、著作や伝記を読んでみようと思う。

ところで、気になる文章があった。それは以下である。

「私は教育において、一番大事なものとなるものは、礼ではないかと考えているものです。つまり私の考えでは、礼というものは、ちょうど伏さっている器を、仰向けに直すようなものかと思うのです。
 器が伏さったままですと、幾ら上から水を注いでも、少しも内に溜まらないのです。ところが一たん器が仰向けにされると、注いだだけの水は、一滴も余さず全部がそこに溜まるのです。」(p.477)

ここを読んだとき、原田隆史氏の「心のコップを上向けて」という言葉が思い出された。実際、いっている内容は全く同じである。すなわち、生徒の側が先生を敬い、素直に先生のいうことをきく心の準備ができていなければ、何を言っても無駄である、ということだ。おそらく原田氏も、森信三のこの言葉から「心のコップ」という表現を思いついたのではないだろうか。研究熱心な原田氏のことだから、この本は読んでいるだろう。そんな気がする。

また、本書では「中間目標」として、「40になったら、必ず一冊の本を書く覚悟を、今日からしておいて戴きたい」と書いている。これは僕にとってもいい目標だ。40歳になったとき、一冊の本がかけるように、あと10数年、しっかり研鑽していきたい。
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2005年04月26日

岡本浩一『上達の法則』(PHP新書)



以前からタイトルが気になっていた本である。目次等を見ると、認知心理学を基礎としてるようなので、ちょっと買ってみようという気になった。

端的には、記憶と認知の心理学に基づき、上達の力学が<スキーマ>や<コード化>にあることを解明し、そこから独自の「上達の法則」を展開している本である。

心理学で言うところのスキーマが、「問いかけ像(感情レベルの記憶像=気持ちがこもっている記憶像)=目的的像」(海保静子『育児の認識学』pp.154-155)のこと指したいのだろうと言うことは以前からわかっていた(もっとも、心理学でも「スキーマとは何か」は明確ではなく、曖昧に使っているようだが)。今回コードやコードシステム、コード化など、「コード」という言葉が頻繁に出てきており、それがひとつのカナメとなっているわけだが、これは我々の言葉で言うと(などというと偉そうだが)、「論理」ということだと今気付いた。少し引用してみよう。

「コード化が不十分なものについては、認識が不十分になる。中級者では、細かな技能についてコード(言語でなくてもよい)が十分に形成されていないので、細かな技能が認知の網にかかりにくいのである。」(p.112)

「コードが豊かになったこの時点では、ひとつの記憶事象に関連して想起されることの豊かさが10倍くらいにも増大している。」(p.209)

そもそも論理とは、対象の構造=性質を一般的に把握したものであるが、この論理がないと頭の中に像を結ばない。たとえば、弁証法の論理に「量質転化」(量的な変化が質的な変化をもたらす)というのがあるが、弁証法の初学者や中級者は、この論理が頭の中にしっかりと形成されていないので、上級者が見れば量質転化と捉えられる事実を見ても、量質転化とは反映しない。ところが、この論理と事実を繋げる訓練をくり返すと、量質転化という論理の厚みが増して、「量質転化とは、たとえば」といって想起できる事実が格段に増大する。おおよそ、こういうことが、認知心理学的な枠組みで説いてあるのだと理解した。

他にも興味深いことが書かれていたので、箇条書きにしてみる(自分なりの要約)。

1.ノートを取る意義は、読み返すことによって、すなわち自分の経験を追体験することによって、一度きりの体験の価値を高めることにある。

2.未熟だからこそ理論が必要。経験不足を理論で補うのである。たとえば英文法の知識は初学者こそ必要である。

3.何か一つのモノを決めて、それを精密に学ぶということをやってみるべきである。一点突破である。

4.模倣は学習の基本である。精密練習のひとつの手段として、「深い模倣」が有効である。基本書の筆写・音読などによって、指導者(達人)の立場に観念的に二重化するのである。

5.「本当にアクティブな記憶事項となるのは、情感のインデックスが認知のなかでうまく形成されたものだけである。」(五感情像?)

6.中級者は、対象の善し悪しが理屈でわかる。上級者や達人はそれが直観でわかる。贋物を見たときは、まず理屈なしに「おかしい」とわかるのである。

7.本当に上達するケースは、最初のうちは進歩が遅い。スキーマの形成に時間がかかるのだ。簡単に上達してはならない!
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2005年04月24日

藤沢晃治『「分かりやすい説明」の技術』(ブルーバックス)



『理解する技術』と同じ藤沢晃治氏の本。同じブルーバックスに『「分かりやすい表現」の技術』という本もあるが、それの続編。『「分かりやすい表現」の技術』では、道路標識や看板、広告など書いたものによって、不特定多数の人に正しく意図を伝える表現の技術が紹介されていた。今回のこの本では、話すことによって目の前にいる特定の人々を説得する「説明の技術」に焦点を当てている。したがって、こちらの方が教師向けといえる。分かりやすく非常に有益な本だ。

第一章で「分かる」ということはどういうことかを、「脳内関所」と「脳内整理棚」という造語によって説明したあと、説明術を基礎編と応用編に分けて説いている。説明術も、80対20の法則によって、基礎編さえ押さえられれば多くの問題が解決するとしている。最後にチェックポイントのリストが載っており、それを音読するように勧められている。

内容は、「要点を先に言え」だとか「抽象的説明と具体的説明のバランスを取れ」だとか、いわば当たり前のことが多いが、それでも初心者の教師などがつまずきそうなことがたくさん書いてあった。

たとえば、「説明もれを防げ」とある。これも当たり前のことに思えるかもしれないが、結構ある。話し手が、聞き手も共有して(すでに知って)いるだろうと暗黙のうちに前提にしている情報がよくあるのだ。藤沢氏は、この「自分にとって当然過ぎ、相手が知らないにもかかわらず、相手も自分同様に知っているだろうと誤解すること」を「情報共有の錯覚」と呼んでいる。

僕もやった記憶がある。それは中学三年生に短歌と俳句の表現技法を教えていたときのことだ。短歌だけ、あるいは俳句だけにしかない表現技法があるために、短歌と俳句を分けて、それぞれの技法を説明していたのだが、何となく生徒の反応がおかしい。そこで確認してみると、何と「短歌とは何か」や「俳句とは何か」がそもそも分かっていないのだ。もちろん二つの違いなど分かるわけがない。短歌が5・7・5・7・7で俳句が5・7・5の定型詩であることすら知らない生徒に、その表現技法が分かるはずもない。

これはかなり初心の頃にやってしまった極端なミスだが、だれにでも多かれ少なかれこういうことはあるはずだ。相手の立場に立って、何が必要で何が不必要かを判断し、情報を整理しておく必要がある、ということを再確認した。

他にも基本的な技術からその応用まで、教師にとっては役立つ技術が紹介されている。特に新人教師にとっては必読書といえるくらいすばらしい本だと思う。

蛇足になるが、この本のタイトルにもちょっとした工夫があることに今気がついた。『分かりやすい表現の技術』ではなく、『「分かりやすい表現」の技術』となっている。前者だと、表現の技術について書いてある本で、それが分かりやすいのだ、つまり、分かりやすい「表現の技術」というふうに読めなくもない。その誤解を防ぐために、わざわざタイトルにカギ括弧をつけているのだと今分かった。
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2005年04月20日

藤沢晃治『理解する技術』(PHP新書)



主に読書によって情報を収集する際のテクニックがまとめられている。それほど目新しいことは書いていなかったが、頭の中が整理されたような感じだ。

この本を貫いている基本的な考え方は、情報のインプットはアウトプットのためにある、というものだ。そしてアウトプットしながら、あるいはアウトプットを前提として、インプットすると理解が深まると説いている。確かに経験からいっても、いざ生徒に教えようとする(アウトプットしようとする)と、自分の理解が浅かったことやまだまだ理解し切れていなかったところが見えてくる。それがより深い理解への契機になる。また、教えるためには情報を整理しておく必要があるから、アウトプットを前提としない情報収集よりも深い理解が必要となる。非常に納得のいく説明だ。このブログに書く本の感想も、アウトプットの一種だから、本をよりよく理解するのに役立つだろう。

また著者は、「落書き帳を別に一冊用意しておいて、重要箇所や、自分が『へぇ〜、そうなのか』と思った部分は、落書き帳に書き出していくことをおすすめ」している。図や表の形で書き出すのもいいらしい。これだと、その落書き帳がアウトプットの素材としてすぐに使えるからだ。また、復習効率もいい。80対20の法則(パレートの法則)というやつだ。僕はこれまで本を読む際は、齋藤孝式に三色ボールペンで線を引きながら読んできた。確かにこれもシンプルでいい方法で今後も続けるが、落書き帳に図や表の形で重要箇所を書き出していく方法もなかなか良さそうだ。どんなものを書き出すか、明確な基準を決める必要などない。これは!と思ったものを、マインド・マップやマンダラートも含めた図表にまとめればいいのだ。気楽に実践していきたい。

最後に、著者が説く「脳の情報処理についての仕組み」にも触れたい。著者は、情報は脳内関所(短期記憶)を通過して、脳内辞書(長期記憶)の棚に格納されて記憶となる、と比喩的に説明している。「意味が分かる」とは、脳内関所に入ってきた情報が分析され、脳内辞書の中から一致する項目が見つかったということ(だから脳内辞書が真っ白な新生児は「分かった」と感じない)であり、新しい情報はその辞書内の項目に「新しい例文」として追加される、こうして脳内辞書は日々、徐々に厚くなっていく、という。また、「頭の中では、情報は文章ではなく、図表として保存されている」とも説いている。こういった考え方は、海保静子『育児の認識学』(現代社)で解かれている「認識とは像である」という認識の本質論に近い感じがした。
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『図解マインド・マップノート術』(きこ書房)



マインド・マップの基本から応用まで、実例を豊富に紹介しながら解説してあった。

基本のところで再確認したのは、枝の上に書くのは絵かキーワードであるという点だ。僕が今までつくってきたマインド・マップは、文章を書いている場合が圧倒的に多い。絵などほとんどない。これではダメだと思った。幸い、使えそうな「アイコン集」も載っているので、これを活用して、もっと絵を描いていこうと思う。

一番気にしていた読書の際のマインド・マップであるが、記述が曖昧でよく分からなかった。文章での説明と、図解での説明が対応していないのが一番の問題だ。しかし、読書術として、読書の前にこの本から何を得たいのかを問いの形で整理しておくこと、読書時間を見積もってから読書すること、の2点を再確認できたのは収穫だ。

その他、やってみようと思ったことは、三色ボールペンでBOIごとに色分けする、必要に応じて時間をおいてから書き直し、より整理された芸術的なマップをつくる、本の扉にマインド・マップを書きながら読書する、思いついたことは何でもとりあえずマインド・マップに表現しておく、白黒で書いたマップをコピーしたあとに蛍光ペンなどで色分けする、など。
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2005年04月14日

書評:原田隆史『成功の教科書』(小学館)第一稿

最近読んだ『成功の教科書』の書評を書いた。原田隆史氏のHPに掲載される予定である。これからいろいろと推敲を重ねようと思っている。




未来をいじる力を与える成功上達論

 近頃、学校卒業後に就職も進学もしていないニートと呼ばれる若者が急増している。その原因として、労働需要の不足による求人の減少、労働力需給のミスマッチの拡大など、様々な社会的要因が指摘されている。と同時に、将来の目標が立てられない、あるいは、目標を実現するための実行力が不足している者が増加しているという、若者の側の問題も挙げられている。このような若者にとって、まさに福音の書となるのが『成功の教科書』である。著者の原田隆史氏は、かつて公立中学校の陸上部監督として、7年間で13回の日本一を育てるという成功をおさめた。死にもの狂いの教育実践の中からつかみ取った、生徒を確実に成功へと届かせる(リーチさせる)教育手法を一般化し、だれもが使える体系として提示したのが本書なのである。

 原田氏は、成功はだれにでも身につけられる「技術」であると断言する。その上で、成功を「自分にとって価値あるものを未来に向かって目標として設定し、決められた期限までに達成すること」と定義している。この成功にリーチするためには、「大きな夢を描き、その夢を具体的な目標に変え、目標に近づくための具体的な方法を考え、毎日やり続け、自分でやりきる」という上昇(常勝)スパイラルをのぼる必要がある。その途上で道に迷うことがないように、詳細な地図とコンパスがしっかりと本書の中に用意されている。

 原田氏メソッドの一番の特徴は、とにかく書いて書いて書きまくるという点である。本書でも、「書いてみよう」というコーナーが1から24まで用意されており、原田メソッドを理解しながら、実際に二週間先の目標が設定できる仕組みになっている。なぜこれほどまでに書くことにこだわるのか。それは、書くことによってイメージが強化されるからである。人間は、イメージしたことでなければ実現できない、イメージより上には行けない。逆にいうと、鮮明にイメージできることは必ず実現できる。これは原田氏の20年間の指導の結論である。ここから、イメージを高めるための方法として、自分の考えを外化する・対象化するということ、すなわち書くということが重視されてきたのである。書いて書いて書きまくることによってイメージを極限まで高めた結果が、「予告優勝」である。原田氏が育てた中学生の中には、中学最後の大会で中学日本新記録を出して優勝するからマスコミを呼んでくれ、といって、事実その通りに日本新で優勝した生徒がいるという。まさに思い通りの優勝、イメージ通りの優勝であって、原田メソッドによって未来を支配する力を獲得した典型例といえる。

 心=イメージを大切にする原田氏は、イメージが湧きやすい表現を駆使している。抽象的で、何を言っているのか分からない、という部分は全くない。おそらく、抽象的な言葉など理解できない中学生を相手に長年指導した結果磨かれた能力なのであろう。たとえば、「危機管理」のことを、「未来に起こりうる問題を予測し、解決策のミサイルを発射!!事前に障害を取り除いておく」と表現している。また、「優先順位の高い行動から実践していくこと」を「おかず理論」と呼んでいる。これは、生徒がお弁当を食べるとき、大好きなおかずを最後にとっておくと、いたずらで原田氏がそのおかずを食べるのだそうだ。そうして、好物(重要事項)を後にとっておいてはいけない、時間が足りなくなったときの被害を最小限におさえるために、好物から食べる(優先順位の高いことからまず手をつける)べきだと諭すということである。ことわざのように、表の具体的な事実から、裏の一般的な法則を伝えるユニークな表現である。こういった表現が至るところで使用されているために、本書は非常にイメージの湧きやすい、分かりやすい内容になっている。また、要所要所にあるイラストも、本書を理解し、イメージを描くための一助として、たいへん優れている。

 原田メソッドは、「20年間3万人を指導してきた」実践の中から生まれ、その実践の中で検証されてきただけに、本書の様々な箇所に原田氏の確信が満ちあふれている。「『問題は発生と同時に答えを背負っている』。これは間違いありません」などという確信に満ちた断定は、背筋がぞくっとするほどの感動を覚える。こういった表現が高慢に映らないのは、原田氏の教育者魂のなせる業であろう。本書を読めば、成功のプロ=自立型人間を一人でも多く育てようという原田氏の熱い思いがひしひしと伝わってくるのである。

 読めば成功にリーチする展望が開ける本当に見事な内容である。この通りにやれば自分でもできる!という確信が湧く、非常に元気の出る著書である。読み進めていく中でも、自分の成長を実感できるつくりになっている点も、さすが一流の教育者、と唸ってしまう。しかし、読んで感動しているだけでは決して成功できない。これでは、地図とコンパスだけを眺めて登山した気になっているようなものだ。まさに「くじ引き理論」、迷わず行動に移すべきだ。私も早速「長期目標設定用紙」を100枚コピーすることから始めたい。


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