2013年04月11日
2012年09月10日
現状
2011年04月10日
ノートカバー購入
いつも持ち歩いているA5ノートが終わりに近づいたので,新年度ということもあって,新しいノートを購入した。購入したのは,今まで使っていたものと同じ,ライフのノーブルノート(A5横罫)である。線の幅が8oで,中字の万年筆でも十分書ける。紙質は万年筆のインクとも相性がよく書きやすい。
今まではA5のブックカバーをつけて使っていたが,今回はノートカバーもセットで購入した。キングジム レザフェスノートカバー(A5 黒)である。これはなかなかいい。まず,カバー自体がけっこう分厚くてしっかりしているので,モールスキンのカバーのように硬くて,台がなくてもノートに字がきちんと書ける。次に,付箋を貼るためのプラスチックボードがついている。これは栞代わりにもなる。もっとも,栞も2本付いているが。第3に,ファスナーつきのポケットが付いており,付箋やちょっとした小物を収容できる。けっこう気に入った。
ところで,ライフのノーブルノートは100シートである。今使い終わったノートは2009年3月から使っているから,ほぼ2年使ったことになる。この機にぱらぱら読み返してみると,単なる事実の記載もあるが,いいことも書いてある。やはり,ノートなど自分の書いたものは読み返して,そのレベルをしっかり自分の常識としていく必要があると実感した。
「心に青雲」2011年4月8日付の記事「落ちては登る」では,南郷先生の言葉が引用されている。南郷先生は日記について,次のようにおっしゃっているそうだ。
「日記は2〜3ヶ月後に読み返せ。そうすれば今の自分が書いた時より落ちていることがわかる。そして落ちては登るものだ」
なるほど,もっと短い間隔で読み返して,書くという労働(自己疎外)によって一時的に高まった自分の実力を,しっかり定着化させる努力も欠かせないようだ。
新年度になり,仕事場のパソコンで古いファイルを整理していた。すると,約一年前に書いた心理検査の所見が目にとまった。自分でいうのも変だが,かなりハイレベルの所見だった。それに比べて最近は,単なるルーティン的に所見を書いているような気がする。しっかり反省して,「登る」努力が必要だ。
今回購入した発見の手帳=書き慣れノートは,最低でも1年間で使い切ろう。寝る前か,朝起きてすぐにでもノートに向かい,思索を綴っていくことを量質転化させていきたい。
2009年02月28日
大学院生活1年目
本当に久しぶりの日記。忘れないうちに大学院一年目の日常生活がどのようなものであったかを記録しておく。
後期の基本的な時間割をまずは提示する。なお,1限は9:00〜10:30,2限は10:40〜12:10,3限は13:00〜14:30,4限は14:40〜16:10,5限は16:20〜17:50である。
○月曜
2.心理療法の授業
3.ロールシャッハの授業
4.臨床心理面接の授業
5.ゼミ
夜 某心理療法の勉強会@他大学
○火曜
1.S1小学校での実習
2.声・体・言葉の授業
3.S2小学校での実習
4.同上
○水曜
2.情報の授業
3.某先生のスーパーバイズ
4.いろいろな分野の実践研究の授業
5.ゼミの勉強会
○木曜
1.精神医学の英語文献を読む授業
2.ロールプレイの授業
3.ケース・カンファレンス
4.同上
5.S1小学校の実習のシェア
○金曜
1.ロールプレイ勉強会
2.精神保健学演習の授業
3.集団スーパーバイズ
以上,週1.5時間×21コマである(独自にやっている勉強会も入れているが)。大学院でこの授業コマ数,異常ではないか。しかもほとんど必修。授業に関しては,その日のうちに一時間以内で授業再現レポートを書いている。
土曜には会合や学会・研修会など,なんやかんやが入ってくる。学費を稼ぐためと一般教養の学び,認識論の学びのために家庭教師もやっている。
それでも土日の空いた時間や,平日の夜などには,主にレポートの作成やゼミ資料の作成を行ったり,カウンセリングや臨床心理学の本を読んだりしている。前期には心理テストの授業があって,これは毎週自分が被検者になってその心理テストを受け,それを解釈するレポートが課された。後期はロールシャッハ一本に絞られた授業であったが,2回ほどグループで発表する機会があり,その資料も作った。ゼミ資料というのは,修士論文作成のための先行研究のまとめや研究デザインの提示などである。ロールプレイの授業や勉強会では,カウンセラー役とクライエント役に分かれて模擬カウンセリングを行い,それを撮った映像をもとに逐語録をおこす。これもけっこう時間がかかる。
2月末から3月初めにかけては(つまりちょうど今頃は),授業のレポートや実習の記録のまとめが山のように課される。最高7つくらい課題がたまったこともある。またこの時期は,実際に相談にくるクライエントを,2年生から引き継ぐため,膨大な記録を読まなければならない。てんやわんやである。
何か,学部の時とは比べものにならないくらいに授業をこなすだけでいっぱいいっぱいの感じであった。
2008年03月12日
携帯、マラソン、服、メガネ、歯医者、あーんど大学受験
1月の終わりか2月の初め頃に、携帯電話の機種変更を行った。2年以上前の前機種に比べると、機能が格段に進化している。便利そうな機能を列挙してみよう。
@音楽再生機能
マイクロSDカードを含めると、おそろしく大量のデータを入れられる。iPodとか、いらないのじゃないかと思ってしまう。ちなみに入れている音楽は「ゆず」(ウソ)。
Aボイスレコーダー機能
これまた大量に録音できる。運転中にひらめいたアイデアややるべきことリストなどは、メモ帳に打つよりも録音する方が危険性が少ない。また、研究会や講義の録音もできそうだ。今度試してみようか。
Bデジカメ機能
500万画素、オートフォーカス、顔認識。2、3年前のデジカメより高性能なんじゃないか? 着ている服がカワイイ姪(甥だったかな?)の写真をいっぱい撮ってやった。
Cテキストビューア機能
ワード、エクセル、パワーポイントファイルを入れて、携帯画面で閲覧できる。ワードファイルの場合、フォントサイズを22くらいにしたファイルを入れて、閲覧画面で二段階くらい拡大すると、ちょうど余白もなく、それなりに見られるサイズになる。玄和会員ではないが、毎回のゼミ、合宿、研究会の際にはレポートを書いているので、そのデータを全部携帯に入れてやった。これで携帯さえあれば、いつでも復習できる。
Dワンセグ機能
ほとんど使わないが、たいがいどこでもテレビが見られる。
E電話、メール機能
当たり前か。
1月末から2月の初めにかけて、携帯のアドレスを設定し直すのを忘れていたので、そのくらいの時期にメールを送ったのに返信がないという方がいらっしゃれば、お手数ですがもう一度お送りください(って、今頃遅いか)。
またマラソン大会出場した。兄夫婦が住んでいるところで開催されたマラソン大会だが、参加費が1000円くらいと安かった。その割に、参加賞で500円分の図書券やらタオルやらグラスやら何やらをばらまいていた。絶対赤字だな。10キロで46分。まずまずかな。これ以上速く走る必要はない気がする。
兄夫婦の家に遊びに行ったついでに、服とメガネを買った。私服を買うのは3年ぶりくらいか。ズボンと靴なんて、8年くらいずっと同じものを使っているくらいだから。4月からは学生に戻るので、それ用に私服(上着、ズボン、靴)を買った。アウトレットショップでそれなりに安く買えた気がする。また、恥ずかしながら目が悪いので、メガネも買った。視力回復のためにお風呂で眼球運動を毎日しているのだが、ほとんど効果がないようだ。どなたか、視力回復の科学的方法をご存じの方がいらっしゃれば、教えてください。兄と出会うと必ずといっていいほど激しい口論になるのだが、今回は珍しく穏やかだった。
恥ずかしながら、歯も悪いので、歯医者に行った。少なくとも15年ぶりくらいだ。しかし高い。ちょこちょこっと治療(?)するだけで2000円とか3000円とかする。これで3割負担だから、歯科医はどれだけ儲けているのか。どうでもいいが、私を担当した歯科医はアトピーがおそろしくひどい人だった。最近私の皮膚状態はひどくよい。原始長命食と玄米を毎日食べ、ビタミンCを毎日とり、ルイボス茶を毎日飲み、塩で体を洗っていると、アトピーが劇的にカイゼンする。こんなに治っていいのか、というくらいだ。本でも出そうか。この歯科医にも教えてやろうかと思ったが、どうせ実践しないだろうからやめておいた。
大学受験は、もう後期日程も終わる頃だ。塾で教えていた生徒はどうなったのか? 心配で夜も眠れない。実は11月頃から一人、家庭教師もしていた(もちろん、塾の生徒ではない)。この子はその時まで全く英語の勉強をしておらず、センター模試でも6割とれればいい方だった。そこから週2回、一回2時間、英語と国語の家庭教師をやったのだが、英語に関しては驚くほど上達した。センター試験では9割近くとれた。2〜3ヶ月でここまで伸びるというのはすごいことだと思う。センターの点数は全体的には第一志望の大学を目指すには不十分だったが、その子は思い切って挑戦した。しかし、残念ながら前期日程では不合格となってしまった。後期日程では英語が出題されないので、前期日程が終わった時点で家庭教師は終了したが、最後に『弁証法はどういう科学か』をプレゼントした。風の噂では、後期の準備もせずに読んでいたらしい。後期が終わってからプレゼントすべきだったか。なお、恥ずかしながら私は頭も悪いので、弁証法を勉強している。
2007年11月19日
マラソン完走
実は一ヶ月ほど前に、走っている途中、突然ひざに激痛が走り、全く走ることができなくなったことがあった。一週間ほど前のリハーサルのときも、3kmくらい走ったところで同じ症状が出て、走れなくなった。本番でもこのひざの激痛だけが問題だった。
本番では、走り始めたときから少しひざに違和感があり、1kmくらい走ったところで痛みが出はじめた。「やばい!」と思ったが、少し走り方を変えてみると痛みは引いた。が、またしばらくすると痛み出し、またおさまるといったことをくり返した。ペースを落として4kmくらい走ると、痛みは消えていった。
ペースアップしようかとも思ったが、例の激痛が走るともう走ることもできなくなるので、そのままのペースで走った。8〜9km付近で、もう大丈夫だと判断して、ペースアップ。競技場に入ってからはさらに加速して、ゴールイン。目標を達成できたので、少し嬉しかった。
実は一年前から友人にマラソンを誘われていたのだが、そのときはとても10kmも走れる気がしなかった。今年になってから、初めて5kmのジョギングを始めた。最初は走れずに、その後、何とか走れるようになり、次第次第に、5kmくらいなら平気で走れるようになった。院試で少し中断したが、その後10kmにも挑戦し、60〜70分前後では走れるようになっていた。
そして本番。はっきりいってひざの心配さえなければ、10kmなんてなんでもないと思えるまで認識が変化していたし、実際に走ってみても、ほとんど疲れていない自分を発見した。
一応50分に目標を設定したが、速く走ること自体はそれほど重視していなかった。それでも、同じくらいの年の女性や、60を越えているのではないかというくらいのお年寄りに次々と抜かれていって、もう少し速く走れたほうがいいかもしれない、とは思った。
終了後、駐車場に向かって歩いている途中に、例の激痛が走って、しばらく歩けなくなった。ランナーズニーとかいうらしいが、ふくらはぎや太ももの筋力を鍛えるといいらしい。ちょっと筋トレでもやってみようかと思う。
2007年10月18日
新パソコン購入
このモデルは、メインノートとしても使えるハイスペックと、モバイルノートとして使える携帯性の矛盾を調和的に解決している。ディスプレイは14.1インチで、普通のノートパソコンよりちょっとだけ小さいくらいである。それでいて、重さは1.7sくらい。バッテリも、5時間くらいはもつ。メモリも2GBに増設したから、Vistaでも非常に快適である。なんせ今まで使っていたノートパソコンは、6〜7年くらい前のものだから、それと比べると、飛躍的に速い。
この古いパソコンから新しいパソコンにデータやソフトを移行するのに丸二日以上かかってしまった。なかにはVistaでは使えないソフトもあって、ちょっと残念だ。ただ、このモデル自体に小中学生向けの学習事典が入っていたり、ビジュアル百科事典も入っており、これから活用していこうと思っている。
インターネットエクスプローラーだけは何とかしてほしい。単語登録した語句も、変換できない。マイクロソフトのサイトから修正ファイルをダウンロードしたらその問題は解決したが、今度は、インターネットエクスプローラー上で、たとえばこのブログの更新をしようとすると、3回に1回くらいの割合で、キータッチが反応しない。ナンダコリャ。他にもすでにいくつか問題が発生している。そのため、別のフリーのブラウザを使うことにした。
指紋認証の機能も、かなり便利である。ネット上でパスワードなんかが要求されるときがあるが、こういった場合、さっと指をかざすだけで自動的にパスワードを打ってくれる。スリープモードから復帰するときも、指をかざすだけでいい。便利になったものだ。
僕が買ったのはカスタムモデルだが、そうでないモデル(ワンセグやターボメモリ、Bluetoothがついていないモデル)なら、価格がすでに15万をきっている。非常にお買い得だ。ノートパソコンの購入を考えておられる方は、選択肢の一つにどうぞ。
2007年09月07日
そこに山があるから、ではない
最初は、それほどきついとは思わずに、僕が先頭になって、ハイペースで登っていった。しかし、1合目までたどり着くのに、非常に疲れてしまった。さらに、3合目にたどり着くまでに、貧血というか酸欠というか、そんなくらくらする、血の気の引いた状態に陥ってしまって、他の二人に非常に迷惑をかけることになった。
この時点で、「もう絶対頂上までなんて無理だ」と思ったが、そこは集団力でもって、何とか自分を叱咤して登り続けた。途中、三人のうち僕だけがふくらはぎをつってしまい、なおかつ、最後の方では、全く二人のペースについていけず、かなり後れをとってしまった。非常に情けない思いをしたものの、何とか頂上までたどり着けた。
山頂はあいにく雲に覆われていて、5メートル先も見えない状態だったが、充実した達成感を味わえた。昼食を食べて、一時間くらい休憩したあと、来た道を下っていった。
下りは非常に速いペースで進んで行けた。登りは3時間かかったが、下りは1時間半だった。なお、下りでも僕だけが太ももをつってしまった。日頃の運動不足が身にしみた。
自然の山道を登り下りするのは気持ちがいいし、足腰を鍛えるのに非常にいい運動になると思うので、雪が積もるまでに、是非もう2回くらいは登ってみたい。今回の一番の失敗は、ペース配分を考えずに初めに飛ばしすぎたことにあると思う。だから次回は、もうちょっと慎重に、ゆっくりとしたペースで登りたい。
2007年06月20日
スカイプ
英語学習のために、英語を話す知らない人と会話することも可能である。私の場合は主に、普段メールでやりとりしている知人と会話するために使っている。スカイプを使えば、メールでやりとりするより、数倍効率がよい。もちろん、二人の時間を調整しなければならないというようなデメリットもあるが。
僕はスカイプ用にヘッドセットを買った。
耳にかけるタイプで、長時間つけていてもそれほど問題はない。相手の声も、普通の電話以上にクリアーに聞こえるし、マイクも雑音をカットする機能までついている。手元で音量調節と、マイクのオン−オフの切り替えができる。もっと安いのであれば、1000円くらいで買える。
まだ使っておられない方は、是非どうぞ。
2007年05月15日
最近のこと、いろいろ
僕の専門たる臨床心理学のマインドマップも既にできあがっているが、これを元に自己講義法で知識を定着させていく作業はまだできていない。やばいな、何やってんだ。
古代史に関して八切止夫を読んでいるが、文章下手すぎ。読んでいてイライラする(南郷師範の文章が下手だとか悪文だとかいう話を聞いたことがあるが、僕はそう思ったことは一度もない。瀬江さんの文章はうますぎるが)。『古代史入門』は何とか読了したが、『天の日本古代史研究』は途中で挫折。『野史辞典』と『庶民日本史辞典』を比較すると、明らかに後者の方が初心者向けのようだ。後者の興味深い記事を読みつつ、初期の『日本原住民史』でも読んでいこうと思っている(『野史辞典』か『庶民日本史辞典』か忘れてしまったが、「私には『○○』や『××』という名著があるが」というような記述があった。笑った。しかしその大言壮語、嫌いではない)。それにしても八切止夫、通説と全く違ったオリジナルの論を展開している。文章が下手すぎるせいか、はたまた僕の読解力不足か、イマイチどういう主張なのか、完全には把握してはいないが、通説(=学校で教わる日本史)とは全然違う、奇想天外な物語であることは確かだ。それにしても文章が下手すぎる。本当に作家か? 口述筆記でも、ここまではひどくならないだろう、とか思ってしまう。
エレナ・ポーター『少女パレアナ』(角川文庫)を読んだ。南郷師範は取り上げていないようだが、認識論の教材として、非常に面白い。端的にいえば、我々の認識というのは、脳細胞が描く像であり、もっとも弁証法性豊かな・変化性に富む・存在であるから、いかようにも変化するし、変化させることができるという論理が、「喜び探し」ゲームという形で説かれている小説である。あるいは、対象の多様性=弁証法性が、説かれているといってもいい。我々は、我々が生活している世界の断片しか捉えられていないのであって、世界は無限の広さを持っており、さらに無限の多様性を持っている。我々が捉えているのは、対象のほんの一面であって、その捉えた対象の一面=認識=像によって、我々は感情的に支配されている。アホみたいな表現でいってしまえば、対象にはマイナスの面もあればプラスの面もある、ということだ。マイナスの面しか見えていないから、悲しくもなり辛くもなるのだが、プラスの面を積極的に探すことによって、嬉しくなり楽しくなる。観念論的にいえば、世界とは我々が創り出したものであり、我々の経験とはすべて主観的経験なのである。そのようなことが、感動的な物語として説かれている。さらに、社会的認識の変化・発展という点でも興味深かった。すなわち、パレアナという個人が、一つの村(?)の社会的認識を、一変させてしまうのである。歴史を動かす個人のミニマム形態といったところか。
友人から教えてもらった幸田真音、お兄ちゃんと同じ高校出身と判明。さっそく一冊小説を注文した。一日分の酒を控えれば、文庫本一冊を余裕で買うことができることに気がついた。
コーチング。最近流行だが、バカにできない成果を残している気がする。こういった分野で説かれている内容も、弁証法・認識論的に捉え返すことによって、しっかり論理化する、自分の実力と化す、ということが重要であるように思う。「論理的に捉え返す」ということが非常に大切だ。どんな対象であっても学ぶべき点がある。
5月になったので、灼熱の砂利道ジョギング再開。既に十分すぎるほどの熱さだ。昼間は灼熱の砂利道ジョギング、夜は普通に5キロ強のジョギングを生活化したい。
『「いのちの歴史」の物語』読書会、終了。次回からは、統計学読書会。大学院では、統計学をしっかり身につけることを第一の目標として研究したい。そのような研究ができる大学院を選ぼうと思う。
佐藤琢磨がポイントゲット。かなり運もよかったが、フィジケラを抜いて8位になった時、普段は冷静沈着な僕もほんのちょっとだけ興奮してしまった。
2007年04月06日
新しいブログ
ブログの目的は、何よりも僕が弁証法をもう一度初心に返ってしっかり学び直すことである。そのために、中学生にも分かる具体例を豊富に挙げて説くことを主眼としている。
土日は休日として、週5日制で書いていく予定である。乞う、ご期待!?
2006年12月13日
断っておきますけど、うちの弟は立派な音楽家ですよ
弟にとってこの4年間は、楽器の上達と後輩への指導という点で、弁証法・認識論的に得るものが多かったようだ。例えば、個別に指導していた後輩の演奏の仕方というか、楽器のかまえ方が、弟そっくりになったという。あるいは、ある曲の難しい部分のみをくり返して練習することによって弾けるようになったというエピソードもきいた。さらに、指揮者によって演奏の雰囲気が全く変わるというような話も聞いた。こういうことを、弁証法・認識論的に弟が説くわけだが、そういう実感のこもった話を聞くだけでも勉強になる。
何にせよ、0から初めてある程度のレベルまで上達するという経験は、それを材料に論理を引き出す訓練もできるし、自分自身の体を使って上達論の実験もできるわけだから、弁証法・認識論の像を、五感情像として創り出すには不可欠であると思う。僕自身も、時間とお金の許す限り、新たなものに挑戦したいという気がしている。
2006年10月19日
結婚式の2次会?
終了後、大学時代の友人のK君(いっしょに勉強会をしているKちゃんではない)と、二次会がないのか様子を探っていたが、どうやら実行委員会なるメンバーだけで打ち上げをやるということが判明してきた(全くどうでもいいが、Kちゃんはその実行委員)。仕方がないので、大学時代の他の友人を誘って、飲みに行くことにしたが、何せ、終了したのが午後3時。やっている店などない時間帯なので、とりあえずK君の自宅に行って時間をつぶした。。
K君も一年半ほど前に結婚しているのだが、そのK君から、医師になったN君も結婚したことをきいた。また、いっしょに飲みに行こうと誘ったMさん(法学部卒業後、医師を目指して大学に再入学している)には、二人目のお子さんを出産した直後で、ドタバタしていて飲みになんか行っていられないと断られた。別の友人は、現在京都にいないということで無理だった。結局、タイ帰り(?)のTさんだけが、突然の誘いにもかかわらず、来てくれた。
K君もSさんも大学院生だ。僕なんかには大変羨ましい立場だ。しかしS君は、就職先がなく、当面京都で過ごすというようなことを言っていた。自らを負け組と規定しているようだった。それなら僕は、超負け組である。Sさんは、何でも今度、独立大学院の博士課程に行くらしい。土壌の研究(?)に飽きて(?)、今度は文化人類学(?)に進むらしい。専門が全く異なるが、院試に落ちるとは思っていないという。二人とも、院試は通るものと思っているらしい。二年前に、僕は落ちたのだが。
実はこの二人は、僕と違って非常に社交的で、他人の心を気遣う能力が優れていると僕は勝手に評価していた。今回、数年ぶりに出会っても、その印象は変わらなかった。S君は確かに少し丸くなった気がした(体型ではなく、性格が)。相変わらず映画をたくさん観ているようで、全く映画によって世界観を構築しているようだった。Tさんは、今振り返ってみると、何となく落ち着いた感じというか、大人になった感じがした。昔はもっとはしゃいでいるキャラだった気がする。タイに行っていたせいか、mixiを知らないといっていた。
今反省してみると、僕は恥ずかしがり屋さんなのか、他人とあまり目を合わせない気がする。それに、結構無口だ。いや、しゃべるときはしゃべるのだが。
最後に、K君のブログを聞いた。コメントを書くといっていたが、まだ書いていない。僕のブログは、あまり言うつもりではなかったのだが、「三浦つとむで検索すると引っかかる、シーサーのブログ」と言ってしまった。ただ、「三浦つとむ」で検索して引っかかるブログで、僕のような三浦つとむ主義者的な人間のブログは、他にもあるので、まだここには辿り着いていないもしれない。しかしその中で、シーサーブログはあまりないだろうし、南郷信者ぶりをいかんなく発揮しているブログも、そうはないだろうから、根気よく探していただけると、辿り着けているはずであるが。
久しぶりに出会った人もいて、懐かしい思いのする一日だった。
2006年08月27日
おにーちゃんとの対話、おとーと君の抜け駆け(?)。。。
ちょっと前に、鬼ーちゃんが家に帰ってきていたので、(哲学的?)問答を行った。僕の観念的二重化の能力不足のために、鬼ーの気持ちを考慮できなかった。しかし、鬼ーも鬼ーで、認識論の学習不足から、勘違いをしたり、僕の実力を見誤り、過大評価したりしていたようだ。
そもそも観念的に二重化(すなわち自分の他人化)を行うためには、相手の世界を詳しく知る必要がある。観念的二重化とは、世界の二重化と直接に自分の二重化を行うことである。しかし、論理的には世界の二重化が先行するはずだと理解している。極論すれば、相手の世界が描ければ、相手に二重化できたことになるのである。学校の先生が教え子の家庭を訪れる家庭訪問というものが存在するが、あれも先生が教え子の生活している世界を知ることによって、生徒の立場に立つことを可能にする実践である。
名人・達人レベルになれば、初段程度ではとうてい「見る」ことの不可能な顔の表情や顔つきなどで、即座に相手の認識(の過程)を読み取ることが可能となるのであろう。しかし、僕はもちろんその域に達していない。いくら血を分けた双子の鬼ーとはいえ、鬼ーの生活する世界や具体的状況の情報なしに、鬼ーの認識を追体験することはできない。
ただ、具体的な認識を追体験することはできないとはいえ、すぐ感情的になり、(鬼ーの言葉によると)「恐い顔」をするようでは、認識のコントロールができていない、といわれても仕方がない。確かにその通りである。(鬼ーちゃん、ごめんなさい)
では、ここで私の目指す認識論の達人レベルを紹介しよう。南郷継正師範である。南郷師範は、『試行』30号に初めて論文を掲載したあと、東京新聞で「文章力云々」と揶揄されたそうである。以下は、南郷師範の論文の引用である。
「それから後は必死であった。一級品の文章、それも<論文とは何か>を思いつめたみたいに他人に尋ね、かつ学び始めたのである。そんな私を見て忠告してくれた人がいた。
『人間は、それぞれに持ち前というものがある。理論家は理論家の、そして実践家は実践家のそれなりの行く道があるのだ。その二つは異質なものであって、両方を志すわけにはいかない。誰もが二兎を追うことはできないのだ。あなたは実践家なのだから、理論的なことには向かない。無駄な勉強はやめて、自分の専門で頑張ればよい。それに文章は下手でも心がこもっていればよいし、思っていることが伝わればよい。その方が、心が伝わって読者にも役に立つし、喜んでもらえよう。なまじっか変な風に思いつめたりしないで、素直に書きたいことを表現すればよいのだ。学の究明などと夢は追うべきではない。それはよした方がよい。(原文通り)
これは、当人にしてみれば自分の体験からでた、誠の忠告であったろう。無駄な努力をさせまいとの老婆心ならぬ親切心からだったであろう。だが、惜しむらくはこの人は、人間性を、私という人間をあまりにも知らなかったといえよう。この言葉を聞いたときの私の顔は見られたものではなかった筈である。自分でも血の気が引いていくのがはっきりと分かっていたからである。それでもこの忠告を押して、あえて私は相手の人に『武道を学として確立したい、科学として体系づけたい』との意を告げた時、『それは無駄なことだ。何の意味もないからよしなさい』と、ピシャリと断言されてしまったのである。この時私は、今度は顔から火が出たかのごとくに感じ体中が鳴動したかと思ったくらいである。『何を! そんな馬鹿な! そこまで低く見られていたのか、冗談ではない。俺だって人間だぞ。どうして俺にできないのだ』というのが私の感覚そのものであった。
私はその日一日、心のなかで荒れ狂っていた。逆巻く怒濤そのままに、怒り心頭に発すの思いであった。念のために読者にいっておくが、かかる場合でも私は、すぐに外見は平常心の外化そのものに変化できるのであって、これは絶対に顔色一つ変わったと見えないくらいの瞬間のことである。」(南郷継正「武道の理論」(29)、『試行』58号p.171)
さすがは認識論の達人、私も表情に出さないくらいは、すぐにできるように研鑽したい。(なお、この論文は、南郷師範の単行本には収録されていない。それにしてもこの「忠告をしてくれた人」は滝村さんか?)
ただ最近、認識のコントロールということでいうと、ちょっとした実験に成功した。それは以下である。
最近は、塾の夏休み講習が忙しく、8日間連続授業で、しかもそれなりの準備時間が必要な授業ばかりだったので、「うわ〜、これから8日間はしんどいな〜」などと思っていた。先のことを考えると、憂鬱な気持ちになってしまうのである。さて一般に、「気持ち」というのは、認識がもたらすものである(というか、認識の一種であるが)。認識とは、対象の反映であり、像であって、その像とは五感情像だから、ある像にはある感情が伴っている。先々の苦しい授業準備場面、200分+120分続く授業の場面、こういったものを想像すると、そこに不快の感情が、「いやだな〜」というような気持ちが伴うのである。つまり、感情・気持ちの原因は、認識=像である。だから、その認識=像をなくせば、「いやだな〜」などという不快の気持ちもなくなるのである。先々の授業準備場面や長時間の授業場面などを想像しなければ、苦しむこともないのである。余計なこと・どうしようもないことを考えて、不快になっても仕方がない。そう判断して、先のことを考えないようにしたのである。それだけで、だいぶ気分が楽になったものである。
以上を一般化するならば、自分の脳細胞が描いている認識=像を客観視し、その像の威力を客観的に眺めることである。日常生活にありふれている上記のような場面で、自己の認識=像を客観化・対象化できないようでは、認識のコントロールもへったくれもない、などと思った。
今度はおとーとの話である。ご存じの通り、最新号の『綜合看護』における南郷師範論文で、「足のウラのヤケド、ヤケドの連続の夏の鍛錬」が紹介されていた。「数年間もつづけることができれば、あなたはまず『医者知らず』の体調となっていくばかりか、アタマの冴えかたは自分にとって気味の悪いくらい(?)のものとなってくるはずです……。」と説かれている。早速実践せねば、と思っていた矢先、家に帰ってきているおとーと君が、僕に内緒で、抜け駆けしてこの鍛錬を行っていたのである。自分ひとりだけ頭をよくしようという魂胆がバレバレである。そうはさせじと、翌日から僕も一緒に行うことにした。
具体的には、昼の一時頃、炎天下のアスファルトの上を裸足で歩くのである。「おっ、何だ、普通に歩けるやん」とか思うのは、最初の15秒〜30秒である。1分も歩くと、太陽の巨大なエネルギーを痛感せずにはいられない。はっきりいって、直火で熱せられた鉄板の上を歩くような熱さである。思わず笑ってしまうくらいである。それでも、そのへんに生えている草をむしりをしながら休憩をとって、最後は100メートルくらいをダッシュして、一日目の鍛錬を終えた。
なお、ここでどうでもいい話をしておくと、僕は某一流大学卒業の非情な秀才(というほど秀才でもないのがまた悲しくもあり、また喜ばしいところでもある)であるが、中学・高校とまじめにバスケットボールをやっていたせいか、走りは割と速かった。50メートル走は6,5秒、1500メートル走は4分半であった。50メートル走は土のグランドを裸足で走ってのタイムである。1500メートル走は張り切りすぎて、陸上部の人間に勝ったまではよかったが、走り終えた後、口の中が血の味でいっぱいになり、貧血を起こし、その後2時間くらい非常に気分が悪かった。
閑話休題、一日目の鍛錬終了直後は、確かに足のウラがひりひりとして、普通に歩くにも難儀であったが、しばらくすると、ヒリヒリ感はひいていった。スキーを一日中した後に床についた時、目をつむるとまだスキーで急斜面を駆け下りている感覚が残っているものだが、ちょうどそれと同じように、寝ようと思って横になると、まだあの鉄板の上を歩いているような感覚にとらわれた。
二日目は、なんだか足のウラが前日より熱さに敏感になっており、前日ほど歩くことができなくなっていた。最初は1〜2分歩いたと思うが、その後は3秒でやばいくらいの激痛が走り、それでも、おとーとがどんどん歩いていくので、負けていられるかとの思いで、多少無理をして歩きはしたが、どうにもがまんできなくなって、スリッパを履いて休憩した。スリッパを履いても、まだ足のウラが熱く、焼けるようであった。特に、草むしりでもしようとしゃがんだとたん、足が燃えるように熱くなった。何だったんだ、あれは。その後も、5秒ずつくらい、多少は歩いたが、とてもおとーとのようには歩けなかった。
終了後、足のウラを見てみたら、指先と、指の付け根あたりに、大きな水ぶくれがいくつもできていた。痛すぎて、普通に歩くことすらままならぬ。へっぴり腰で仕事に行ったが、途中、量質転化して、水ぶくれが破れてしまったかと思ったほどだ。しかし、帰宅後観察してみると、破れてはいなかった。が、何か、水ぶくれがヨリ大きくなっている。
おとーとは、僕の10倍くらいは歩いていたと思うが、水ぶくれはできていない。日頃からビーチサンダルで歩き回っているおかげで、足のウラの皮が厚くなっており、熱さに耐えられる構造になっているのかもしれない、などと思った。しかし、「ヤケド、またヤケドの連続の練習」なのであるから、ヤケドしないと意味がないのでは、とも少し思う。ふっふっふっ。。。
うわっ、今もう一度足のウラを見てみたら、今にもはちきれんばかりに水ぶくれが巨大化している。普通に歩いただけで、圧迫してはちきれてしまいそうだ。明日はお休みかな。それとも、この状態でも鍛錬をつづけるべきなのか。
いずれにせよ、脳細胞改造へ向けて、まだ第一歩を踏み出したに過ぎない。
2006年07月23日
freemindがいつの間にかバージョンアップ
心理学.pdf

sinrigaku.html
2006年07月20日
最近考えたこと、実践したこと、発見したもの
認識は対象の反映であるから、見事な対象を反映し続ければ、それに応じて認識は見事になり、歪んだ対象を反映し続ければ、それに応じて認識は歪んでゆく。原田隆史が説く、長期目標設定用紙を目につきやすいあらゆるところに貼るということも、ニューヨーク市長だったジュリアー二が実践したブロークン・ウィンドウ理論も、この論理に棹さすものである(庄司和晃風に書いてみたが、言葉の使い方あっているのか?)。僕は昨日、アリストテレス、カント、ヘーゲル、エンゲルス、三浦つとむの肖像画をB4用紙にプリントアウトして、机の前の壁の、仰ぎ見る位置に並べて貼った。本当はアリストテレスの前にゼノン、そしてこれら6人の偉人のうえに南郷継正師範の肖像画を貼りたかったのだが、両者とも入手できなかったので諦めた。これら偉人の顔を毎日毎日反映し続けることによって、自分の認識に変化が起きるような気がしている。
面白いブログを発見した。心に青雲というブログである。「心に青雲とは青雲の志を抱くこと。弁証法、認識論を踏まえ、空手、科学、芸術、時事問題などを論じます。」とある。玄和会の師範代の方が書かれているブログで、南郷継正師範の講義の内容など、一般の者には知ることができない貴重な情報が紹介されている。痛快である。是非ご一読を!
2006年07月10日
メールが消えてしまった
P.S.
このブログをごらんになっている方で、昨日、一昨日くらいに僕にメールを送られた方は、僕が未読のままそのメールが消えてしまった可能性がありますので、再度送り直していただけると助かります。
2006年07月02日
PK、外す前に外している
このクリスティアーノ・ロナウドと対照的だったのが、決勝トーナメント一回戦のドイツvsスウェーデンの後半、ラーションのPKだ。前半は2対0とドイツがリードして迎えた後半。何とか反撃したいスウェーデンが、後半の立ち上がりにPKを獲得する。そのキッカーがラーションである。その表情がアップで画面に映された瞬間、僕は「絶対に外す」と思った。不安一杯の表情だったのだ。これは、実際に外してしまう前に、頭の中ですでに外している像を描いてしまっているのである。その像に支配されて、実際に外してしまうのである。ちょうど、跳び箱が跳べない小学生が、跳ぶ前に頭の中ですでに失敗しているために、その通りに失敗してしまうのと同じである。跳び越えている自分をイメージできないのだから、成功するはずがない。なお、蛇足になるが、向山式の指導法などでは、先生が手助けしてでも、すっと跳び箱を跳び越えることを体験させ、それによって自分が跳び箱を跳び越えるイメージを子どもに描かせることを重視している気がする。予想通り、ラーションはゴール上に外してしまう。決定的なチャンスを逃したスウェーデンは、このまま波に乗ることができずに敗退。
プレッシャーのかかるPKでは認識のコントロールが不可欠だし、そのためにも日頃から実践的に認識論を学んでおく必要があると思った。サッカーに限らずに、常に平常心でいるためには、認識論の学びが必須である気がする。
2006年06月23日
最近のこと
昨日、通勤電車の中で、三色ボールペンを使ってマインドマップをまとめているおっさんがいた。たまたま座った横の席のおっさんが、なにやらカチカチとうるさかったのでチラッと見てみると、三色ボールペンの色を変えているところだったのだ。ノートには、カラフルなマインドマップが出来上がりつつあったのだが、カチカチ、カチカチと、ちょっと五月蝿い。齋藤孝によると、これが脳のギアチェンジを促すということらしいが、周りの人間にとっては迷惑以外のなにものでもない。まあ、三色ボールペンでマインドマップをつくるようなオッサンもいるのかと、親近感は覚えたが。
そして今朝のワールドカップ、ブラジル戦。玉田が先制ゴールを決めた時は、普段クールな僕も「およっ!」と、少し興奮してしまったが、前半ロスタイム、そして、後半の立ち上がりに立て続けにゴールを許してからは、だんだん冷めてしまった。冷静に見てみると、実力の差がありすぎた。前半も、川口でなければ、玉田の先制ゴールの前に2点くらいは入れられていてもおかしくはなかった。ブラジルはレギュラーを5人ほど休ませて、控えの選手を出してきたが、控えといってもそこはブラジル。レギュラーと較べてもほとんど遜色なかったように思う。しかも、もう決勝トーナメントへの進出は決めており、プレッシャーはそれほどない。控えの選手にとってみれば、絶好のアピールの場であって、思う存分楽しめたのではないか。特に後半、ブラジルが2点目を入れてからは、明らかに日本の戦意がなくなってしまって(当然だ。2点差で勝つためには、あのブラジルから後半だけであと3点取らなければならない。これはほぼ不可能だろう。)、日本はミスを連発、ブラジルは日本を子ども扱いといった感じだった。やはり、こういった大舞台を勝ち抜いていくためには、もっと決定力のあるフォワードが育っていかないとダメだという気がした。
2006年04月12日
ウィキペディアの「三浦つとむ」と「滝村隆一」と「学城」――酔っぱらいの戯言
さらにどうでもいいことを書いておくと、僕のペンネームは寄筆一元(よせふで・いつげん)である。江戸川乱歩が私淑したエドガー・アラン・ポーに基づいてペンネームを創ったように、僕は私淑するつもりであったヨゼフ・ディーツゲンに基づいてペンネームを創ったのである。
かつて三浦つとむはいった、「ヨゼフ・ディーツゲンはわたしの教師である。わたしはそれを誇りとする。」(『弁証法・いかに学ぶべきか 三浦つとむ文庫(1)』、季節社、p.48。なお、『三浦つとむ選集2 レーニン批判の時代』所収の「マルクス主義の基礎」では、「ヨゼフ・ディーツゲンはわたしの教師である。わたしは彼の弟子であることを誇りとするものだ。」という表現になっている。)と。かつて僕の友人S君は、バイト・ノート(謎。デス・ノートではない)に書いた、「三浦つとむはわたしの教師である。わたしはそれを誇りとする。」と。その後、僕は同じくバイト・ノートに書いた、「南郷継正はわたしの教師である。わたしをそれを誇りとする。」と。
閑話休題、ウィキペディアの「三浦つとむ」には、「影響」として「薄井担子」なる人物が挙げられている。ひょっとして薄井坦子先生のことだろうか? リンクも貼っていないし、別人であって欲しいが、あまりに文字が似ているし、「看護学」とあるからには、おそらく薄井先生のことだろう。失礼にもほどがある。誰が書いたんだ?
ウィキペディア「学城」には、「読み不明仮に、がくじょう、とする」とあるが、この雑誌の読み方は「がくじょう」でいいはずである。もちろん、僕は玄和会員ではないので、南郷師範の講義を聴いて、その中で「がくじょう」といわれていた、というわけではない。単に、『学城』を定期購読しようと現代社に電話した時に、「あの〜、新しい学問誌なんですけど」と僕がいうと、現代社の方が「ああ、ガクジョウね」とおっしゃったというだけのことである。まさか、現代社の人が間違っているということはあるまい。
それにしても、「ZA-KHEM,sp」の「,sp」の意味が未だに分からない。前半の「ZA-KHEM」の方は、「ゼノン・アリストテレス―カント・ヘーゲル・エンゲルス・三浦つとむ」でいいとして、「sp」って何だ? 長年の謎である。第一号で、「ZA-KHEM,spとは何か」を説いていただけると確信していたのに、それはなかった。第二号にもない。これを考え始めると、夜も眠れないほどである。どなたか教えてください。それにしても、「ゼノン・アリストテレス―カント・ヘーゲル・エンゲルス・三浦つとむ」という形で、史上最高の頭脳をもった哲学者たちと三浦つとむが並んでいる(しかも、取りが三浦つとむである!!)と、三浦つとむの偉大性を感じずにはいられない。「弁証法」という名の認識が、古代ギリシアからゲルマンを経て、日本に辿り着いたのである。日本に生まれてよかった!!
ウィキペデアの記事は、誰も訂正しないようなら、そのうち僕が書きかえようと思っている。