2008年02月18日

D.シュルツ『現代心理学の歴史』(培風館)

D.シュルツ『現代心理学の歴史』(培風館)

1.読もうと思ったきっかけ

大学院で臨床心理学を専門的に勉強するに先立って、心理学の全体像をアバウトに把握しておこうと思っていた。そこで、新書や文庫レベルの、一人の著者が書いた心理学の概説書を何冊か読んだ。それと平行して、過程も含めて全体であるから、心理学史も学ぼうと思った。そこで何かいい本はないかと探していたところ、『試験に出る心理学 一般心理学編』(北大路書房)で紹介されていた本書を発見。アマゾンで検索したところ、以下の紹介文があって、その中の「時代精神」に惹かれて購入、読むことにした。

「100年をこえた科学としての心理学の歴史を、客観的な見地からまとめた書である。従来他の学史などに多くみられた、人物が時代をつくるという人物中心のアプローチをとらず、時代が人物を育て方向づけるという時代精神を強調する立場で書かれているところに本書の特色がある。実験心理学に対する精神分析理論や人間性心理学など、第2次大戦以後発展してきた新しい流れの記述もバランスよくとりいれ、現時点における心理学の姿を正面からとりあげている。心理学の歴史的展開に関係のある社会的な出来事や個人的エピソードなども随所にもりこまれ、親しみやすく平易に叙述されている。」


2.内容の要約

現代心理学は、哲学における機械論的な時代精神と、ドイツの生理学の影響を受けて19世紀末に誕生した。

現代心理学の創始者であるヴントは、当時の物理学の影響を受けて、心を構成要素に還元し、内観を通した実験によって研究した(構成主義)。構成主義はティチェナーが完成させた。ヴントと同時代の心理学者としては、記憶研究のエビングハウス、色彩研究のミュラー、後のゲシュタルト心理学や人間性心理学に影響を与えたブレンターノ、現象学を発展させたフッサールの師匠であるシュトゥムプ、無心像思考を立証したキュルペなどがいる。

これに対して、ダーウィンの進化論やゴールトンの個人差研究に影響を受けて、心の実体ではなく、その機能を研究しようという運動がアメリカで発展していった。心理学の知見を実用・応用しようとする機能主義の運動である。プラグマティズムで知られるジェームズが機能主義を先取りし、ホールやキャッテルが開拓した後、シカゴ学派のデューイ、エンジェル、カーによって正式な発展を見た。

さらに、この機能主義の立場を踏襲した上で、内観というような主観的な方法に頼るのではなく、客観的に観察可能な刺激(S)とそれに対する反応(R)のみをデータとして動物や人間の行動を説明しようとする行動主義が、ワトソンによって打ち立てられた。ソーンダイクやパブロフの動物実験がその前触れであったが、客観性を求める時代精神の反映でもあった。行動主義においては、動物や人間の行動を、細かなS−R要素に還元するので、還元主義という点では構成主義と同じである。行動主義は、トールマン、ハル、スキナーらの新行動主義へと継承されていく。

一方ドイツでは、構成主義が要素に還元した上で心を捉えようとする微視的なアプローチであることを批判して、より巨視的なアプローチをとるゲシュタルト心理学が成立した。全体は部分の総計ではないというのが、ゲシュタルト心理学の基本的立場である。これは物理学における「力の場」という考え(時代精神)の反映でもあった。ゲシュタルト心理学の運動はヴェルトハイマー、コフカ、ケーラーの三人によって進められた。レヴィンの場理論もこの系列に位置づけることができる。

以上のようなアカデミックな心理学とは相対的に独立した形で、精神病理の研究から、フロイトは精神分析を開発した。精神分析においては、心理学では無視されてきた無意識の動機づけに焦点が当てられた。その後、フロイトの定式化を修正する理論家が次々に現れた。個人的無意識と普遍的無意識を区別したユングや、人間の生物学的側面ではなく社会的側面を重視したアードラー、ホーナイ、フロムらである。

近年、物理学における「自然の推移を、これを妨げることなく観察することはできない」という時代精神に対応した認知革命が、心理学を席巻し始めている。この認知革命を反映したのが、バンデューラの社会的学習理論である。また、精神分析の近年の発展としては、オールポートから始まるパーソナリティ研究がある。TATの構成に影響を与えたマレーや、生涯にわたる人格発達の理論を創ったエリクソンも、この系列に入る。さらに、人間は無意識や外的な刺激によって支配されているとする精神分析や行動主義の決定論・脱人間性への抵抗として、心理学の第三勢力が現れた。これが人間性心理学である。欲求階層説を唱えたマズローやクライエント中心療法を創始したロジャーズがその代表者である。



3.自分の意見・感想

心理学の歴史はたかだか100年ちょっとだが、相当膨大な研究がなされてきている。普通、心理学というとフロイトを連想しそうだが、本書でフロイトを扱っているのは、15章中1章だけである。割とマイナーだと思われる機能主義に3章分も費やしているにもかかわらず、である。しかも、フロイトの精神分析は、その起源からすると、相当な異端である。異端というより、心理学とは別物といった方が正確だ。

さらに、本書で心理学の研究分野がすべて網羅されているわけではない。社会心理学もちょこっと触れられているだけであるし、発達心理学、認知心理学、臨床心理学なんてものは、全く触れられていないに等しい。それでもこれだけの膨大な研究の歴史があるのかと、ちょっとだけ驚いた。

さて、科学的認識論の立場からすれば、心理学史上の様々な学派というのは、認識のある側面を強調して捉えた一面的なものに過ぎない、という気がしてくる。例えば構成主義というのは、典型的な機械的反映論であって、素朴な感性的認識だけを問題にしているように思う。また行動主義は、対象→認識→表現という媒介的なつながりを無視して、対象→表現と直結している。確かに刺激(対象)と反応(表現)はつながっているが、それはあくまでも認識を媒介としてのつながりである。それなのに、客観性という名のもと、認識を無視しているのである。素直に考えればこれのどこが「心」理学なのか、と思ってしまう。ゲシュタルト心理学は認識の能動性に着目した学派であろう。問いかけ像(論理)があるからこそ像を結ぶということに、それなりに気づいていたような気がする。精神分析は、蓄積された過去像の威力の凄まじさやその実体への影響に着目した学派だと思った。

本書は、その前に読んだ『心理学史への招待』(サイエンス社)よりも遙かに心理学の発展の流れがよく分かる良書だと思う。しかし、大上段に「時代精神を強調する立場」などといっている割には、哲学といってもデカルト以来の機械論やイギリス経験論の連合主義くらいしか登場せず、ほとんど物理学が時代精神を代表しているかのような口吻である。確かに、現代心理学は自然科学としての物理学を理想として、その影響の下で発展してきたというのは事実であろう。しかし、それを「時代精神」なんて大仰な言葉でわざわざ言う必要はなかろう。

やはり心理学がなぜ19世紀末になって誕生したのかというような謎に関しては、最近の南郷師範の論文に学ばないと絶対に理解できないだろうと思った。南郷師範に学べば、まさに時代精神と心理学の関係がはっきりしてくると思う。南郷師範の論文に関しては、また別の機会に書いてみたい。
posted by 寄筆一元 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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