どちらも小室直樹の数学関係の著作。後者には「数学原論」という副題が付けられている。重複するテーマも多い。存在問題、必要条件・十分条件、背理法、対偶、合成の誤謬、資本主義的私的所有、等々。後者は特に形式論理学が全面に押し出されている。
小室直樹の著作は、一般的にかなり教育的配慮が施されている。くり返しを厭わず諄々と説かれており(特に『数学嫌いな人のための数学』)、難解な言葉を使用しつつもその言葉の意味を( )内で説明している。また、難しい漢字にはルビが振ってある。こういった配慮は非常にありがたい。
また、小室直樹の博識ぶりがいかんなく発揮されている。この二著にも、数学はもちろん、論理学、経済学、社会学、心理学、そして宗教や歴史に関する知見が豊富に盛り込まれており、非常に知的好奇心をそそる面白い内容となっている。
二つの著作でともに取り上げられている、資本主義的私的所有の絶対性と抽象性という指摘は特に興味深い。絶対性とは、「所有者は所有物についてどのようなこともなし得る」ということである。それに対して抽象性とは、「所有(possession)と占有(occupation)の分離」ということであり、分かりやすくいえば「所有とは、所有権のことであって、実際に手に持っているかとか、実際に監督できるとかとは関係がない」ということである。
以上のように、近代における所有の一般的性質を明らかにした上で、小室は、日本における所有は、絶対性と抽象性という特徴を持つ資本主義的私的所有とは対極にある中世的所有であると述べている。そして、貞永式目における「悔い還し権」や江戸時代の棄損、闕所、お断り、御用金、あるいは『日本人の法意識』における川島武宜の指摘などを例に挙げながら、そのことを諄々と説いていくのである。
『数学嫌いな人のための数学』の方で説かれている古典派経済学とケインズ理論の比較も面白い。ケインズ理論の有効需要の原理(需要が供給を作る)は、Y=C+Iという数式で表現できる(Yは国民生産すなわち国民総供給。Cは国民総消費、Iは国民総投資だから、C+Iは有効需要、すなわち国民総需要になる)。これは、需要と供給とが等しくなる市場の均衡を表す式だから方程式であると説かれている。ところが、この式を、Y≡C+Iというように恒等式にしたとする。そうすると、古典派のセイの法則(供給が需要を作る)になるというのである。なぜなら、この式が恒等式であれば、「均衡であろうとなかろうと恒に成立していることを示す」のであるから、「今、国民生産Yが供給されれば、均衡であってもなくても、是が非でも、何がなんでも需要C+Iは必ずその数値に等しくなってしまう」からである。
古典派とケインズ理論の違いを、恒等式と方程式の違いとして示すこの議論は、なかなか面白いと思った。一般的にもいわれていることなのだろうか。
その後、C=aY(aは限界消費性向)という消費関数と、投資は定数であるという投資関数を示し、Y=C+Iとこの二つの関数をあわせて、最単純ケインズ模型であるとする。これは相互連関関係を説明していることになる。YとCは相互に規定しており、さらにYをIが規定しているわけである。ここから投資(I)が変化したとき、国民生産(Y)がどれだけ変わるかを説明する乗数理論を説明している。限界消費性向が0.8だとすると、Iが1兆円増えれば、波及効果によって、最終的にYは5兆円増える。直接効果が1兆円であるのに対して、波及効果による間接効果が4兆円。ちょっと驚いてしまう。(実は同様のことが以前読んだ『経済学のエッセンス』にも説かれていた。)
他にも、論理とは論争の技術であるとか、論争によって論理学が発達するとか、カントも触れているような不完全帰納法についてだとか、仏教が弁証法的であるとか、様々なテーマが説かれている。
以上のように大変興味深いことがたくさん書かれているのだが、形式論理学を全面に押し出しているため、あまり小室の考えに引きずられてしまうと、ただでさえ自然成長的に形而上学的に育ってきている僕のアタマが、ますます形而上学的になってしまいそうで怖い。
また、ロバチョフスキーによる非ユークリッド幾何学の発見によって、「公理とは自明のことではなく、仮説に過ぎない」という重大な事実が明らかにされた、そのため科学的研究の態度は、真理の発見から模型構築(model building)へとコペルニクス的転換を成し遂げた、とする小室の主張は、面白いがなかなか納得できるものではない。小室は次のようにいっている。
「公理主義のおかげで、学問とはすべて仮説であるという考え方が徹底した……。
(中略)
他の自然科学や社会科学においてもまったく同じことで、科学は、科学者が仮説を要請するところから始まる、とされるようになった。
この仮説とは、方法論的には公理と同じものであるから、そこから論理的に導き出された科学的知識とは、実体的、絶対的なものではない。あくまで科学者が要請した仮説のうえに立つ、仮の知識でしかないのである。」(『数学を使わない数学の講義』pp.202-203)
そうなの? という感じである。
しかしともかく面白いし、僕に欠けている政治・経済的な知識を吸収するためにも、今後も小室直樹を読んでいきたいと思う。