2007年11月12日

弁証法・認識論の実験一つ、二つ

最近、立て続けに弁証法・認識論の実験に二つほど成功した。一つは先日このブログでも紹介した院試の合格である。もう一つはダイエットである。

まず結果をお伝えすると、一ヶ月で8kgの減量に成功した。同じ8kgといっても、元の体重しだいでその評価は大きく異なることになると思うから、大雑把な目安を言っておくと、体重が70kg台から60kg台に変化したのである。

ではどうやって減量に成功したのか? 物理的には、食事制限と運動、これだけである。食事制限といっても食べないわけではない。食べないために食べるとでもいおうか。具体的にいえば、一日のうち一食は必ず原始長命食を中心とする食事、その他は玄米、味噌汁、野菜等のいわゆる粗食。肉や油は極力食べない。酒もほとんど飲まない。運動は、ジョギングorウォーキングと腹筋である。一ヶ月で80km走り、20km弱歩いた。走った回数は9回、一日10kmか5kmずつ走った。歩いたのは3回、距離は毎回5キロメートル強。腹筋は、一日60回を1〜2セットくらい。これだけやれば、70s台の人間は、一ヶ月で8sは減量できる。

しかし問題は、僕は人間だということである。「人間を動かすものは、すべて人間の頭脳を通過しなければならない。」(エンゲルス『フォイエルバッハ論』国民文庫、p.62)のである。すなわち、人間は目的的存在であり、自らの描いた目的像に従って行動するのである。したがって、減量とは自らの行動のコントロールの問題というよりはむしろ、認識のコントロールの問題なのである。

認識論を学んでいますという人間が、自らの認識すらもコントロールできないようでは、他人の認識をコントロールすることなど絶対にできず、ましてや認識論の再措定や認識学構築など、夢のまた夢であろう。認識論を学んでいる人間が自殺をするなんてことは、いったい何のための認識論の学びであったのか、わけが分からないというものである。簡単にいえば、認識の法則性の基礎を学べば、ダイエットくらい極簡単にできるのである。

ではその認識のコントロールとはどのようなことか? この点については、前回院試合格体験記で述べたことと論理的にはまったく同じなので、そちらを参照していただこう。要は、目標を達成したときの有様をリアルに描くということである。(念のために述べておくと、前回の院試合格体験記のエッセンスは、勉強方法自体にあるのではない。認識論の適用という点にこそ、その価値があると思っている。)

すなわち、僕の頭の中ではすでに一ヶ月前に目標を設定した段階で、もう目標は達成してしまっているのである。現実がこの目的像を後追いしただけである。したがって、「やったー!ダイエットに成功した!」とか「うれしい!」とかいう感情は、あまりないものである。院試合格のときもそうであったが、そういう感情は目標を設定した段階ですでに味わっている。もちろん、未来像として描いている場合と、直接の反映像として描いている場合とでは、やはりリアルさが違い、当然感情も違ってはくるが。

もう少し具体的に認識のコントロールについて学びたい方には、次の本を推薦しておこう。それは、原田隆史『カリスマ教師 原田隆史の夢を絶対に実現させる60日間ワークブック』(日経BP社)である。私の認識論の学びの成果と、原田隆史の言うリーチングの理論とは、結論的に同じである。したがって、原田隆史方式で院試合格やダイエットに成功したといってもよい。もっといえば、臨床心理学指定大学院の合格や、8sの減量くらいなら、この原田隆史のワークブックほど徹底しなくても、難なくクリアーできる、認識論的にエッセンスを踏まえさえすれば。

原田隆史の本の中に、マンダラートを使って目標を具体化するワークがある。これは特に有効である。たとえば僕の場合であれば、ダイエットするための方法・手段をまずは8個考える。さらにその8個について、より具体化した手段をそれぞれ8個ずつ考えるのである。合計64個の具体的な行動目標を考え出せば、もう目標は半分実現したようなものである。具体的な手段を64個も考え出せれば、できない気がしなくなる。具体的な像は現実に近いから、すぐに行動に移せるのである。

なお、変な批判を避けるために一言追加しておくと、ダイエットというのは、あくまで弁証法・認識論の実験の一つの指標として取り上げただけである。自分自身の努力によってコントロールできることであれば、目標は何でもよかったといってよい。ただ、最近太り気味であったし、太り気味ということは食生活が乱れているとか運動不足とかいう要因が考えられ、それが病気の引き金にもなりかねないので、この際きちんとした食生活を確立して適度な運動をすることによって、より健康的な生活を送ろうとしたわけである。その一つの指標として減量を考えたまでである。

もう一つ蛇足を述べておくと、上記のダイエット生活と入浴の際に粗塩で体を洗う、さらに一日1gのアスコルビン酸をとる、という実践をしたおかげで、持病であったアトピーが劇的に改善した。3年ほど医者にかかっていたにもかかわらず、まったく回復しないどころか、時によっては悪化さえしていたのだが。おそらく、酒を控えたことと長命食を中心とした健康的な食事の影響が特に大きかったように思う。当然、これも想定通りであった。まさに量質転化である。

あと一ヶ月ほどでさらに5sの減量と、アトピーの完治が次なる目標である。もう僕の頭の中では実現してしまっているが。

posted by 寄筆一元 at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
粗塩で体を洗う→で、何がどう変化するのでしょう。なぜそれでアトピーが改善されるのでしょう。そこまで対象の構造に分け入って、そうだったか!と感激して、それで量質転化が「分かった!」となるのではないのでしょうか?
Posted by 流蛍 at 2007年11月17日 08:17
流蛍さん、またまた問題提起をありがとうございます。

なるほどおっしゃるとおり、私の今回の実験は、やってみれば変わったというレベルの、いわば現象論的なレベルの、実験であったようです。粗塩に関しても、人から教えていただいたことをとりあえず実践してみた、という段階でした。


>粗塩で体を洗う→で、何がどう変化するのでしょう。
>なぜそれでアトピーが改善されるのでしょう。

中学保健体育の教科書や『暮らしの医学』、それに瀬江先生や薄井先生の生理学の著作、そして「生命の歴史」に学んで、これらの問題も対象の構造に分け入って解けないとダメですね。

「生命体とは何か」「塩とは何か」「生命体にとって塩とは何か」「皮膚とは何か」「アトピーとは何か」「アトピーになるとはどういうことか」「アトピーが治るとはどういうことか」「食とアトピーはどのように関わるのか」「塩とアトピーはどのように関わるのか」等々といった問題を、解いていく必要があるように感じました。

自分で考えろ、ということであればそれで結構ですが、流蛍さんなりの答えがあるのでしたら、これも教えていただけるとありがたいです。
Posted by 寄筆一元 at 2007年11月19日 11:29
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