2007年11月11日

『弁証法はどういう科学か』第2章

先日、三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)の第二章「弁証法はどのように発展してきたか」を読書会で扱った。レジュメ担当は僕だったので、そのときにつくった「要約」と「重要用語解説」、それに「重要哲学者解説」を載せておく。なお、「〜解説」は、ほぼ参考文献からの引用になっている点をお断りしておく。



要 約

<1>古代ギリシアからヘーゲルまで

原始的で素朴だが正しい世界観


 古代の人たちは、世界をすなおに、ありのままにとらえた。全てのものは運動し互いにつながり合っているという、原始的で素朴だが、本質的に正しい世界観を持っていた。しかし、この世界観は直観的に大づかみに全体の一面をとらえただけであるから、それだけでは部分のありかたを正しく説明するには不充分であった。
 とはいっても、古代ギリシアの学者は個々の物ごとのあり方も研究して、量的な変化が質的な変化をもたらすという事実にも注目していた。


ゼノンの詭弁

 古代ギリシアの哲学者ゼノンは、運動に関する難問を提出した。そこでは、可能性と現実性とのつながり、連続と非連続との統一、限界を越えることによって反対物に転化すること、運動は矛盾であることなど、現実の持つ重要な性格を問題にしていた。しかし、これらの運動の認識も、科学が未発達の時代には研究の方法としては役立つものとなりえなかった。
 ただ、古代ギリシアの哲学者たちは、二つの相いれない意見がたたかわされるというかたちで、矛盾が思惟において発生することを注目し、この思惟における矛盾をあばきだし、討論することが真理に到達するいちばんよい方法であることを知って、これを重要視した。そして矛盾を克服することによって真理に到達する技術を「弁証法」と呼んだ。
 この思惟の矛盾が外的世界の矛盾とのつながりにおいて正しく理解され、弁証法が現実の矛盾を研究する科学となるまでには、二千年にわたる自然科学と哲学との発展が必要だった。


形而上学的な見かたの妥当性

 変化しているものを一応変わらないものとして、つながっているものを一応別のものとして扱う見かたを、形而上学的な見かたという。形而上学的な見かたは、世界をせまい範囲で・短期において・見るときには妥当である。しかし、世界を広い範囲で・長期にわたって・見るときには、弁証法的な見かたが必要となってくる。


形而上学的な世界観の成立

 自然科学の研究は、形而上学的な方法で行われた。そのためこの方法を、世界全体の研究に持ちこんだり、この一面的な世界のありかたを世界全体のありかたとして考えたりするような傾向が生まれてきた。こうして18世紀の古典力学が完成した時代には、形而上学的な世界観がつくりあげられた。


弁証法の復活

 18世紀フランスの進歩的な思想家は、機械的な唯物論の立場に立っていた。これに対して、反動的なドイツでは、唯物論が排撃されたために、また、機械的に形而上学的に解釈するのでは人間の認識を正しく説明できないために、哲学は観念論の方向へ進むとともに、弁証法をふたたびとりあげ、これを思惟法則として理論化した。
 ドイツの哲学者カントは、二律背反を論じて、それが認識にとって必然的なものであることを主張した。ただカントは、この二律背反が客観的な矛盾に原因があるとは考えずに、何の性質も持っていない物自体に認識が諸性質を与えるのが原因であると解釈した。


ヘーゲル哲学の特徴

 ドイツの哲学は、カントからフィヒテ、シェリングを通ってヘーゲルにおいて完結する。ヘーゲルはカントの物自体論を反駁し、いわゆる「二律背反」は世界自体の持っている性質であると主張した。そして、客観的な矛盾が運動の原動力であることを見やぶった。かくして、世界全体を一つの過程として理解するとともに、その運動の内部のつながりを明らかにしようとする努力がなされた。
 しかしヘーゲルは観念論者であったために、努力があやまった方向へ持っていかれた。ヘーゲルは、個々の人間の精神に対する自然の先行を認めつつ、その背後に、それをうみだす精神として「絶対理念」の存在を主張したのである。そして、「絶対理念」→自然→人間→精神→「絶対理念」という精神の自己発展が弁証法であるとした。


<2>ヘーゲルからマルクスへ――唯物弁証法の成立

ヘーゲル学徒から唯物論者へ


 1840年代になると、ドイツでも宗教と封建制度に対する闘いが公然化した。ヘーゲル学徒は、宗教との闘いの中で唯物論の側へ導かれた。そしてフォイエルバッハ『キリスト教の本質』があらわれたが、これはヘーゲル哲学を廃棄していたため、内容的にはヘーゲルから後退していた。


ヘーゲル弁証法の改作

 ヘーゲル学派から生まれたマルクス・エンゲルスは、ヘーゲルを破りすてずに、その弁証法をとりあげ、これを唯物論の立場からつくりかえた。
 ヘーゲルのいわゆる「客観的弁証法」は、実は弁証法ではなく、全自然がそれ自身として持っている法則的な性格である。ここを批判し訂正することによって、弁証法は運動の一般的法則に関する科学にまで還元されたのである。こうして観念論的な弁証法が唯物弁証法に改作された。
 唯物弁証法は、マルクス・エンゲルス、それにヘーゲルとさえも無関係に、ディーツゲンによっても発見された。


唯物史観の確立

 マルクス学派は唯物弁証法を武器として、フォイエルバッハでは不可能だった、唯物論の立場から社会についての科学的な理論をつくりあげる仕事をし、唯物論的な歴史観が確立した。
 唯物論は物質的な生活が精神的な生活の土台であることを教え、弁証法は人間のありかたを一つのダイナミックな過程としてとらえることを教える。動物は自然から与えられているものを消費するだけであるが、人間は生活資料を生産しそれを消費することによって人間自身を生産するのである。この物質的な生活の生産の過程こそ、歴史を動かす原動力であり、現実の生きた人間を理解する基礎であることを唯物史観は主張する。


科学的社会主義

 資本主義的生産様式を廃棄することを目的とした社会主義運動は古くからあったが、資本主義そのものの深い分析なしにはこの運動も空想的なものに終わってしまう。マルクスは唯物弁証法を使って経済学を研究し、経済学の革命をもたらすと共に社会主義を科学としてうちたてた。


弁証法的世界観の復活

 19世紀になると、自然科学からうみだされた形而上学的な世界観は、自然科学そのものの前進によって個々の分野から崩されはじめ、ついに全自然がやむことのない運動の中に存在するという新しい自然観に実証的に到達した。これは弁証法的な世界観のヨリ高い段階における復活である。マルクス学派は、2000年来哲学者の獲得してきた貴重な成果を正しくうけつぎ、弁証法を方法としてのみ理論的な困難を突破できることを論じ、自然・社会・精神の各分野を科学的に結びつけて具体的な統一された世界観をまとめあげた。これは人間の思想の歴史が新しい段階にはいったことを意味する。


<3>現在はどうなっているか

観念論との闘争


 哲学一般はヘーゲルと共に終結する。唯物論はもはや哲学ではなく科学的な世界観となったからだ。しかし古い哲学もまだ生きのこっている。これらの観念論哲学と、マルクス学派の世界観および弁証法との間には、公然のあるいは隠然の闘いが続けられている。


マルクス主義の前進と後退

 マルクス、エンゲルス以後、唯物弁証法とその応用になる社会科学は、一方では目覚しい前進が見られると同時に、他方では停滞もあれば原理的な後退もあるという、不均衡的な発展を示している。革命運動の指導者たちはマルクス、エンゲルスの著作を徹底的に研究し討論する条件にめぐまれていなかったために、原理的な把握に不充分なところがあった。しかし、革命の功労者であった彼らのことばは絶対化されてしまい、その原理的な後退がほとんど指摘されていない。
 マルクス、エンゲルスの唯物弁証法を正しく理解できないために、マルクス以前の唯物論やヘーゲルと同じような弁証法を説く人もいる。あるいは原理的な修正を行ったり弁証法を否定したりする人もいる。


形而上学を否定する傾向

 マルクス主義では、弁証法も形而上学もあれもこれも必要だが、弁証法のほうがはるかに役立つのだと主張する。しかしソ連や中国ではこの形而上学の妥当性を一切認めない傾向がある。これもマルクス主義の修正の一つである。



付録1:重要用語解説

@弁証法
 新、旧二つの弁証法がある。旧弁証法は、古代ギリシャ時代に姿を現した「弁証の方法」である。弁証の術、哲学的問答法などとも呼ばれる。これは、弁論すなわち問答・議論・討論・論争を通じて相手の論の欠陥を暴きだし、自分の論の正しさの証をたてること、すなわち、弁じて証明することであった。新弁証法は、エンゲルスが創始した「科学としての弁証法」である。

Aゼノンの詭弁
 学的には「ゼノンの絶対矛盾」というべきもの。ゼノンは、学的=弁証法的論理で森羅万象=万物=世界の運動を止めてみせた。これが「飛んでいる矢は止まっている」の学的構造論であり、ここを理解できた学者は、歴史上ヘーゲルくらいとされる。

B形而上学
 エンゲルス→三浦つとむの流れにおいては、この言葉はアリストテレスの代表作たる『形而上学』に直接関わることはない、エンゲルスの、いわば哲学上の概念。事物を静的・固定的・絶対的にとらえる見かた・考えかたを形而上学的という。つまり、「形而上学的」とは対象を変化しない静止したものとしてのみ考えるのであり、「弁証法的」の対義語である。

C二律背反
 あることを証明するのに、一方ではAと証明でき、他方では非Aと証明できるといったぐあいに、正反対のことが同一のことでしっかりとまちがいなく証明できることをいう。律とは法則レベルのことであり、正しいもの同士が相反しているので二律背反なのである。
 弁証法ではこれを対立物の統一として解決できるのであるが、カントはそこが及ばず、結果として<物自体論>までいって観念論レベルで解くことになる。

D物自体
 カントは二律背反に悩んだあげく、二律が相反するのは、対象のゆえではなく自分の観念、すなわち頭脳活動のゆえとした。つまり、対象が二律になるのは、対象の性質が無なるがために、頭脳のはたらきで、どちらにもなる、としたのである。対象の性質は吾人の認識が与えるのであり、物自体の本質は無としたのである。

E絶対理念
 訳者によっては絶対精神、絶対概念などその人によって異なる。この「絶対精神」はヘーゲル哲学の本質そのものといってよい。「絶対精神」とは、ヘーゲルにあっては宇宙の根源であり、かつ、直接に全世界そのものである。自然の歴史も人類の歴史もすべて絶対精神自身の発展段階なのである。
 絶対精神は自らの内に発展の契機をはらんでおり、やがて自己転生して自然となり、また社会、そして精神へと転生して後、当初の絶対精神へと大いなる回帰をする。これが絶対精神の自己運動である。絶対精神の自己運動がヘーゲル哲学の根源であり、大道であり、歴史そのものである。


付録2:重要哲学者解説

@ヘラクレイトス(B.C.535頃-475頃)
 「万物は流転する」という金言を残した哲学者。彼は「有と非有とは同一のものである、すべてのものは有ると共に無い」といった。ヘーゲルは彼を讃え、「ヘラクレイトスの命題で、わたしの論理学にとりいれられなかったものはない」とまでいっている。万物の変化を論理的に否定する人々(パルメニデスなどのエレア派の人々)がいたからこそ、逆に変化を本質的なものとするヘラクレイトスの考え方が生まれた。

Aゼノン(B.C.490頃-430頃)
 エレア派の哲学者でパルメニデスの高弟。論理的な思索を得意とし、師の「すべての存在は一へ収斂する」「モノが運動することは不可能である」という説を擁護して、師の考えを否定すると、不合理な帰結が生じることを示すために四つのパラドックスを提出したとされる。ある命題を仮定し、そこから生じてくる矛盾を指摘することにより、相手を反駁する方法は弁証法の先駆として名高い。すなわち、ディアレクティケーの創出者はゼノンであり、かつ、カントの「二律背反」はこのゼノンが先駆者である、とヘーゲルは説く(ヘーゲル『哲学史』)。

Bカント(1724-1804)
 ドイツ観念論の創始者。自然哲学者として出立、太陽系の生成を説明した星雲説を発表。その後イギリス経験論やルソーの思想などをとりいれ、近代自然科学を基礎とした独自の哲学を樹立。

Cフィヒテ(1762-1814)
 カント哲学に感動し、論文をカントに贈呈して認められ、それを無署名で発表するや、カント自身のものと誤解され名声を得る。後に、カント哲学の徹底化を試み、またフランス革命の理念化と社会秩序の再構成をめざす。1806年ナポレオン軍の占領下で、祖国への情熱をもって『ドイツ国民に告ぐ』を講演し、ドイツ国民の士気を高揚させた。

Dシェリング(1775-1854)
 その大著『学問論』の中で、学問構築、哲学構築に弁証論(弁証法)の必須性をはっきり強調した。しかし、同時に哲学を「知識に向かう愛」のように説いて、ヘーゲルに批判されることとなる。

Eヘーゲル(1770-1831)
 ドイツ観念論哲学の完成者というより、人類史上初の学問としての哲学の完成間近まで到達した、世界最高の哲学者。全世界を絶対精神の自己発展から説く学問としての哲学体系を創る。

Fエンゲルス(1820-1895)
 従来の弁証法を、法則レベルの「科学としての弁証法」すなわち、弁証法の三法則に仕上げた創始者。

Gディーツゲン(1828-1888)
 ドイツの哲学者。独学により独特の弁証法的唯物論哲学を創造した。エンゲルスに「唯物論的弁証法」の発見者の一人と賞讃される。

H西田幾多郎(1870-1945)
 西洋哲学の「有」の立場を批判して「無」の哲学を説き、いわゆる「西田哲学」として、わが国の哲学界に大きな影響を与えた。観念論哲学を説いたとされるが、彼の論文は、哲学というよりは学問的には「認識論」としての構造をもつ。

I田辺元(1885-1962)
 日本における学問的レベルでの哲学の実力があるとされる唯一の哲学者。『哲学の方向』において、大哲学者カントの「二律背反」を見事に駆使して、哲学と科学の構造を論じきった。

<参考文献>
南郷継正『武道講義第四巻 武道と弁証法の理論』(三一書房)
南郷継正『武道哲学 著作・講義全集』第一巻、第二巻、第六巻(現代社)
加藤幸信「学問の発達の歴史」(『綜合看護』1996年3号所収)

posted by 寄筆一元 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都弁証法認識論研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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