2007年04月12日

尾瀬あきら『夏子の酒』(講談社漫画文庫)



尾瀬あきら『新装版 夏子の酒』全6巻(講談社漫画文庫)を読了した。簡単にいえば、兄の遺志を引き継いだ夏子さんが日本一(=世界一)の日本酒を創ろうと奮闘する物語であるが、面白く泣ける漫画である。

夏子の意気に感じて、東京帰りの同級生やダメ蔵元の息子が人生の再出発をする様など、非常にリアルで感動的だ。また、逆にそういった人々に励まされて、夏子が日本一の酒造りの決意を新たにする。こういった相互浸透も、見ていて気持ちがいい。

何度も何度も挫折しながらも、周りの人に助けられ、兄の遺志に励まされ、そして何よりも、「自分にとってはこれしかない」という夏子自身の野望のおかげで、困難を乗り切っていく。夏子は一度飲んだ日本酒は忘れず、杜氏のじっちゃんを凌駕する利き酒の天才的な力をもっている。こういった点は、『ガラスの仮面』の北島マヤを髣髴とさせる。

日本酒造りの過程や、杜氏や蔵人の生活、すぐれた蔵元の心意気など、勉強になる点も多かった。

一番興味深かったのは、夏子が「お酒は芸術ね」といったのに対して、父がいったセリフである。父親は、「それはどうかな」といい、「酒が芸術かただの致酔飲料かを決めるのは酒蔵の心意気次第だ」(2巻p.282)と名言を吐く。

つまり、芸術か否かは作者の認識が決定するということである。三浦つとむが聞いたら観念論的だといいそうだが、案外、一面の真理をとらえている気がする。紙パックで売られているような大量生産のポン酒はどう考えても芸術作品とはいえないが、たとえば山形の出羽桜、たとえば奈良の豊祝、たとえば静岡の臥龍梅などは、芸術作品といっても決して過言ではないと思う。杜氏を中心とした酒造りに関わる人々の心意気と技の結晶(量質転化)である。

日本酒の背後に、このようなさまざまな物語があるということを知ると、同じ日本酒でも、今まで以上に深く味わうことができるようになると思った。美泉のモデルになったといわれている福井の黒龍や、龍錦のモデルであるらしい山形の亀の尾も機会があれば飲んでみたい。
posted by 寄筆一元 at 03:22| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なにゆえ日本酒造りに関わった人たちは、思想性の高みを堅持して、世界にも稀な「珠玉」の酒を創りだしたのでしょうか。寄筆さんがおっしゃる「心意気」はどういう流れで誕生したのでしょうか。
認識が対象の価値を決めます。その認識の醸成された歴史性について、もっと考察を深めていただけたら…と思います。
杜氏たちが信仰する「松尾様」とは何なのでしょうか。ただ観念論と決めつけるのではなく、その観念的伝承性が何ゆえできてきて、どう育成され、どのように量質転化していったのかを、解いてください。
酒造りは、当然、歴史をひもとけば賎業とされていたはずで、古神道と結びついたものでした。その賎業が、なぜ、「珠玉」にまで昇りつめることができたのか、なのですが。そのヒントが「夏子の酒」にはあるように思いますが、いかがでしょう?
われわれが、本当の良酒を飲む場合には、この日本酒の優れた歴史性、あるいは心意気、珠玉の認識といったものを「直接」に味わうべきものだと思うのです。そこを「夏子の酒」は描くことができたように思います。
すぐれた小説とは、主人公が(作者の手を離れて)一人歩きをはじめたもの、という“格言”レベルの話がありますが、「夏子の酒」も、そのように、だんだんに一人歩きをなしとげていった作品だと思います。だから尾瀬あきら畢生最高の作品に仕上がったのでしょう。
Posted by 流蛍 at 2007年04月12日 09:06
流蛍さん、コメントありがとうございます。

心意気の誕生過程を解けとのご指摘ですが、いつもながら今の私の実力では不可能です。ただ、毎度、新たな問いを突きつけてくださって、ありがたい限りです。宿題は増えますが、問いが立てられれば、半分答えが出たようなものですからね。
Posted by 寄筆一元 at 2007年04月13日 00:57
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