知人に勧めていただいた木村達雄『透明な力』(講談社)を読んでみた。副題には、「不世出の武術家 佐川幸義」とある。何でも佐川幸義という人物は、大東流合気武術宗範で、11歳で大東流・武田惣角に入門後、長い修行を経て師を越えたといわれているらしい。その佐川幸義の略伝と語録を、弟子の木村達雄がまとめたのが本書である。
恥ずかしながら、この佐川幸義なる武術家を、僕は全く知らなかった。しかし、この本に書いてあることが事実であれば、佐川幸義は間違いなく、名人・達人レベルの武術家であろう。相手を無力化する技術=合気を師・惣角から唯一受け継いだ人物だそうだ。合気なる技術を習得した唯一の人物だから、どんな人間が本気でかかってきても、あっという間に吹き飛ばしてしまうという。それも、かなり高齢(90歳くらい)になってからも、かなう者はいなかったらしい。それどころか、70を越えてからも、どんどん進化していったという。
この合気という技術は、植芝盛平が創始した合気道とはあまり関係がないというか、全然別物であるようだ。最初はこのことが分からなくて、ちょっと混乱してしまったよ。
「略伝」では、昔の武術家の生き方が描かれており、興味深かった。佐川の師である武田惣角は、全国を巡りながら金持ちに指導して回るという生活を送っていた。佐川も助手として、一緒に廻っていたようだ。
本書の中心は、何といっても「佐川先生語録」であろう。さすがに「不世出の武術家」と評されるだけあって、含蓄のある言葉が多い。主な内容は次の4点といってよいと思う。
@頭を使え
考え続け、工夫し、反省することが大切だ。
A執念が大切だ
意志、気持ちが何よりも大切で、だめだという時にナニクソとがんばる「ヤマト魂」がなければだめだ。
Bこれでよい、ということはない
人間、現状に満足すれば進歩が止まってしまうから、一生修業だと思って、いくつになっても進化し続けなければならない。
C自分で責任をとれ
何でも教わろうという他者に頼る気持ちではだめで、自分で開発していこう、自得しようという心構えがなければだめだ。誰かが強くしてくれるのではないのだ。
要約してしまうと平凡な感じがするが、本人の言には、武術家魂が溢れている気がする。これからの老人はかくあるべし、という見本であろう。
ただ、かなり精神論に偏っているきらいがある。しかも上達論などないし、「語録」もエッセイのような断片的なもので、全く体系的ではない。結局彼の合気も、だれひとり受けつくことができないまま、彼はこの世を去ってしまった。要するに、彼の業績が文化遺産としては、あまり形あるものとして残っていない。せいぜい、この本の語録と、弟子たちの技に残るのみ、という感じであろうか。
それでも佐川の、何としてでも合気を修得しようという執念や、そのために考え続け、工夫し続け、鍛錬を怠らなかった姿勢、すべてを自分の責任ととらえて反省し、研究して、高齢になってからも進化を続けた人生は、多くの見習うべきものがあると思った。やはり、どんな世界でも一流になるには、このくらいの執念と研鑽が必要になるのだろう。
「人間はまがいものの目的に向うときほど、真剣になって進んでいくものなのか」と南郷先生が『武道の理論』の冒頭に述べておられる言葉を思いだしました。寄筆さんも最後の十数行で書いておられるとおり、佐川は歴史の名を残せなかった人ではありませんか。ですから、せいぜい彼の合気習得の賭けた執念が評価できるだけでしょう。
別に褒めていけないことはないのですが、それでも本当は佐川はこうすべきだったという論理展開をしてほしいと思いました。あるいは上達論からいってこうあるべきだとか、こういう修練だったから良かったのだとか…。指導論からは…とか。
佐川が解けなかった極意の中身を論理的に解明しないと、ただの根性礼賛になりかねません。
佐川語録だけでは、どこの高校野球の監督程度(低度?)でも言っているのではありませんか。
むろんそれが悪いわけではないですが、貴兄の大志に見合う(取り上げるに足る)人物なのかどうか…。
「ああ玉杯に花うけて」の歌詞にあるように、「治安の夢に耽りたる 栄華の巷低く見て」でないと。
私は知人に「佐川幸義はこれからの高齢化社会のモデルである」と紹介され、主にその観点でこの本を読みました。読んでみて、取り上げるにたる人物だとは思いましたが。。。
ただご指摘のように、本来はこうすべきだったという上達論や指導論からの批判が必要ですね。今振り返って一番の問題点は、本人が自分の合気について、論文として残していないという点だという気がしました。つまり、言語化しようとしていなかったため、十分な論理化ができなかったのではないか、という気がします。むしろ、言語化できるものではない、という思いが強かったのではないか、という感じです。
問題提起をしていただいて、また考えるべきことが一つ増えました。ありがとうございます。
南郷先生が『武道の理論』シリーズで書かれているはずですが、宮本武蔵が偉大なのは「勝負論」を書き残したことであって、史上彼と同等か、彼以上の剣の達人はいたでしょうが、その達人たちは何も継承可能な文化遺産を残せなかったのですね。
ですので、そんな文化遺産を残さなかった人を褒めても、それは「まがいもの」なんじゃないかな、と思ったしだいです。
佐川をただ批判するのではなくて、前回書きましたように、ここをこうすれば良かったのに…と説くことが大事か、と。
まさにそれを念頭において、自身の合気に関して、論文として書き残すべきだった、と申し上げました。今の私には、これ以上のことは説けません。
ただ、「まがいもの」はいいすぎではないかという気がします。南郷師範は、『全集第一巻』p.285で、毎朝ランニングしているご老体を評して、「人間一般からすれば、見上げた根性である」とか、「すばらしいと思うことはあっても、一度もみっともないと思ったことはない」とかおっしゃっています。
佐川幸義は、このご老体とは比較にならないほどの根性で、自身を鍛え続け、弟子を育て続けたのですから、十分評価に価する見事な生き方だと思います。
もちろん、佐川が自らを「ヘーゲルに匹敵する大学者である」などと自称しているのであれば、それこそ「まがいもの」でしょうけれど、仮に史上最強の武術家と自称していたとしても、本に書かれている内容が事実ならば、そうウソではないと感じます。
たとえば、プリセツカヤと佐川幸義は、個人が到達した高みと、継承可能な文化遺産を残したのかどうかという問題の二点に関して、違いがあるとお考えでしょうか? ご教授いただければ、ありがたいです。
佐川を褒めるとか、南郷先生が老体ランナーを褒めたというのは、ある条件のもとでなんでしょう? 何度も書きますように、それはいいんですよ。私が申しあげたい要点は、ただ「志」にもレベルがあるってことなんです。老ランナーの志も立派ではありますが、そのレベルはまあチラッと褒める程度でいいんじゃないか、と。
プリセツカヤと佐川については、当然「違い」があります。空手で譬えれば、プリセツカヤは南郷継正クラス、佐川は大山倍達クラスでしょう。
私は、佐川を褒めないわけではありませんが、あの程度の名言ならば、どこぞの社長だって言います。「日経ビジネス」や「日経産業新聞」を見ていれば、毎日掲載されてます。それらは確かに参考にはなりますよ。功成り名を遂げた社長の言、立派だとも思います。でも…なのです。それらは決して前人未到のレベルでもなく、気宇壮大でもなく…なのであって、例えば「玄和の将」という歌が『空手道綱要』に掲載されてますが、あの歌詞のレベルには遠く及ばないのでは?
つまり、私の基準は「玄和の将」レベルでなければ、留保をつけて褒めてもいいが、「まがいもの」じゃないか、と思っているのです。
貴殿は『武道修行の道』のなかの「歴史性ある指導者とは何か」のところは、どれくらい読みましたか? 50回? 100回?
あそこを読んで、いてもたってもいられずに玄和会の門を叩いた人を知っていますが…。
> 空手で譬えれば、プリセツカヤは南郷継正クラス、
> 佐川は大山倍達クラスでしょう。
ということは、志のレベルの違いは措くとしても、プリセツカヤは佐川と違って、継承可能な文化遺産を残した、ということですよね? ありがとうございます。また勉強してみます。
>つまり、私の基準は「玄和の将」レベルでなければ、留保をつけて褒めても
>いいが、「まがいもの」じゃないか、と思っているのです。
「まがいもの」かどうかは別にして、まさにその通りだと思います。すべて条件付きですからね。私が佐川を評価したのは、(向山洋一と同じく)実践家として、という条件(留保)付きです、もちろん。
>貴殿は『武道修行の道』のなかの「歴史性ある指導者とは何か」のところは、
>どれくらい読みましたか? 50回? 100回?
恥ずかしながら、それほど読み込めていません。『武道の理論』シリーズも、しっかり学び直したいと思います。
最近になってようやく、日本文化に関心が出てきまして、日本の武道のみならず、絵画、建築、芸能、文学などの歴史を学ぼうと思っています。もちろん、世界の文化についても、日本と比較するためにも、学ぼうと思っています。
この年になっても、まだまだ自分の知らない世界というものがあるのだと、少し驚きつつも、新鮮な気持ちにもなります。
またお立ち寄り下さい。
私は30年前友人から佐川道場では技を丁寧には教えないということを聞いたり、合気道と大東流合気は一緒だと思っていましたし、『武道の理論』も読んでいましたので南郷師範の門をたたく事にしました。今は師範の本に植芝盛平や塩田剛三は出てきますが武田惣角や佐川幸義がまったく書かれていないのは残念に思っています。合気道を語るとき、武田惣角の大東流合気は植芝盛平が「合気道」を名乗る前の原点だからです。その辺のことは、津本陽の小説『鬼の冠』や『黄金の天馬』に書かれていますのでお読みください。
尚、佐川幸義氏の大東流合気を論じたものの本をいくつか紹介します。最近の本ではこの本の著者の『合気修得への道―佐川幸義先生に就いた二十年』や元高弟の吉丸 慶雪著『合気道の奥義―呼吸力・勁力を体得する! 』があります。吉丸氏は佐川合気の謎を解くべく南郷師範の著書も使いながら「透徹力」(佐川合気を吉丸氏は名づける)として彼の著書すべてで究明しようとしています。他には、高岡英夫が最近の著書では佐川合気の謎を解いた(大ぼら?)と書いています。長いコメントになりすみません。
どんな対象であれ、それを過程として捉えるというのは、非常に大切だと思っています。特に人間が生み出した物は、連綿と積み重ねられてきた認識=像の表現として、まさに歴史性を孕むものとしてとらえる必要がありますよね。
私は学生時代京都に住んでおりましたが、京都の町並みも、たとえば平安時代の人間の認識が表現され、その上にたとえば江戸時代の人間の、あるいは現代の人間の、認識が表現され、ということが幾重にも重なって、現在の京都が創られてきたのだという観点で眺めた時、「歴史性」ということの重みが少しは感じられた思いでした。
人間の活動の大元には認識があるわけですから、そういう意味でも人間の認識の歴史は勉強したいと思っていますし、その一助として、日本文化の歴史も学びたいと思っています。
>佐川先生は具体的な鍛え方は弟子には教えなかった
やはりそうでしたか。著書にもそのようなことが書いてありましたね。
>師範の本に植芝盛平や塩田剛三は出てきますが
>武田惣角や佐川幸義がまったく書かれていない
塩田剛三って出てきましたっけ? とにかく私には武道関係の知識が全くといっていいほどないので、南郷師範の著作を読む時も、たとえば批判されている相手の像が全く浮かばなくて、困っていました。そういう意味でも、ちょっと武道関係の本を読んでみようと思っているところです。
紹介していただいた本を読んで勉強したいと思います。ありがとうございました。