2006年11月15日

『綜合看護』2006年4号(現代社)

現代社のHPを見て、「おっ、最新号の『綜合看護』の目次がアップされている!」と思っていたら、その直後に届いた。とりあえず目を通したことの記録として、メモでも残しておこう。


なんごう つぐまさ が説く看護学科 ・心理学科学生への
  “夢” 講義(32) ―看護と武道と認識論 /南郷継正

今回は瀬江千史「脳の話」の補足。以下、分からなかった点を2つ。

p.80の「心理というものがココロだとすれば、認識というものはアタマということができます」との記述。認識にはアタマとココロのはたらきという2つの側面があるのだと思っていたのだが。

最後のp.84。「以上の三つが満たされて初めて、脳は満足に働きますから、認知症が体のために発症することはまずありません。」との記述。「から」の前と後ろが僕の中でつながらない。

何回か読み返してみようと思う。

なお、最後に「別件」として、現在は『学城』で投稿文を受けつけていない旨、書かれている。


次代を担う看護学生・医学生への医学概論教育 講座(15)
  ―[連載] 第2部・第4回 /瀬江千史・本田克也・他

最初に、一般教養の基礎を身につけるためにもっともよい方法が説かれている。中学の教科書を学び直すことから始める、というおなじみの方法である。特に、「理科と社会(とくに歴史と公民)、そして保健体育はしっかりと学びなおさなければならない」とされている。個人的にも保健体育は大切だと思う。『看護の生理学』などを読もうとしても、その前に、人間の体の仕組みや発達の一般論が、アバウトながらにも描けていないとかなり厳しいからである。僕は保健体育の教科書は2種類持っているが、また復習しようと思った。


初学者のための 『看護覚え書』 (11) /神庭純子
  ―看護の現在をナイチンゲールの原点に問う

さすが弁証法の達人! 「いのちの歴史のイメージ像」とその解説が、非常に分かりやすい。感動で、寒気すら感じる。近刊案内に『看護のための「いのちの歴史」の物語』が紹介されているので、おそらく1月くらいにはでるのだろう。とりあえず3冊は買って、100回くらい読まないと。

ところで、最初に引用されている小論は、誰が書いたのだろう?
posted by 寄筆一元 at 16:55| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 神庭氏の論文の最初に引用されている「小論」は、まごうかたなく神庭氏ご自身のものでしょう。
 もし他人の作であれば、きちんと引用した際に名前を入れます。無断で引用するなど、学者ともあろう方がなされるわけがないのです。
 それに文体が神庭氏とまったく同一でしょう。また、論述そのものが、家政学と看護学の形成過程に即した弁証法的な展開となっています。こんな弁証法的論述ができるのは日本家政学会では、神庭氏くらいしかできないことでしょう。
 例えば「学問レベル」「本来的」「科学的学問大系」「一般的把握」といった言葉にしても、これは南郷学派のものです。
 それに引用文の前後を読んでも、露骨にご自身の文章だとは書いていませんが、奥ゆかしく、ご自身の論文であることはわかるように紹介しておられます。
 「私自身の原点ともなった小論」という意味を、影響を受けた“他人の論文”と思われたのではありませんか。これは南郷師範にとって『武道の理論』が“原点”となった著作、という意味といっしょでしょう。
 実際この「小論」は、家政学と看護学の区別と連関が、世界で初めて説かれた画期的な論文だったのでしょう。それゆえ神庭氏が家政学から看護学へ転進された理由が、深い思い(志レベルで)がこもった論文となっているのであり、だからこそ“原点”という表現をされたのではないでしょうか。
 
Posted by 流蛍 at 2006年11月16日 13:13
流蛍さん、解説ありがとうございます。

なるほど、指摘されてみると、神庭氏本人の論文であるのは、ほぼ間違いなさそうですね。

ご指摘の通り、「影響を受けた“他人の論文”」と受け取ってしまったために、「日本家政学会にはこのような論文を書ける実力者がいるのか。ひょっとして、日本家政学会というのは、南郷学派が創ったのか?」などと邪推してしましました。
Posted by 寄筆一元 at 2006年11月17日 14:28
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