ドイツ観念論が19世紀ドイツの精神的な支柱となり,その後のドイツにおける科学革命を準備したように,『学城』はまさに21世紀日本における精神的支柱として,当面の間我が国の文化をリードすることになるのは間違いないだろう。何よりも,その論理的一貫性に震えるほどの感動を覚える。
今回一番印象に残ったのは,討論の重要性である。日本弁証法論理学研究会の先生方は,何十年にもわたる学的討論を積み重ねてこられた結果の,現在の実力の高みなのである。それはまさに,古代ギリシャからの学問の発展過程を論理的に辿り返された結果であろう。阿呆みたいな者とくだらぬやりとりをしても全く学問的討論とはならないが,責任ある立場の人間との命がけともいえる討論は,論理能力の養成にとって必須であるということが,悠季論文・本田論文を通して実感的につかめた。これが今回の一番の収穫であるといってもいいかもしれない。
それにしても,私にとってここまで強烈なあこがれを抱かせる存在というのは,人類の全歴史を振り返っても存在しないといえる。なんなの,瀬江千史先生のあの流れるような,1oの引っかかりもないようななめらかな論理の展開は! 西田幾多郎・田邊元の伝統を引き継ぐはずの大学ですら全く見られなかった本物の哲学を説くところのあの悠季真理論文の見事さ! こういっては失礼に当たるかもしれないが,北島先生・志垣先生には,どことなくシンパシーを感じる。ダーウィンやオパーリンを手玉に取る浅野先生・本田先生の実力の高み! そして,こういった学者先生を育て上げられた南郷継正先生の偉大さ!!
『学城』第8号掲載論文についての感想は,わが京都弁証法認識論研究会のブログに近々公開したい。われわれは日本弁証法認識論研究会に一歩でも近づくべく,研鑽あるのみである。