今までに購入していた一丁40円程度の安い豆腐は,この基準を満たしていなかった。豆腐とはいえない代物を食べていたわけだ。日本酒でいうと,紙パックに入っているようなアルコールを,「日本酒」だと思って飲んでいたようなものだろう。これらのニセモノは確かに安いが,しかしそれらは豆腐ではないし日本酒でもない。缶コーヒーが本物の珈琲ではないのと同様である。
ニセモノの日本酒は紙パックに入っていることが多いし,缶コーヒーも缶に入っているから,現象的にも本物との違いが明確である。しかし,豆腐はニセモノでも本物でも現象的な違いはない(といってよいくらいだろう)。これはタチが悪い。「ガラスの玉は,本物の真珠をきどるとき,はじめてニセモノとなる」とは,ディーツゲンの名言だが,「大豆,にがり」以外も含めてつくった「豆腐」は,豆腐をきどらずに,「ガラスの玉」的な自称を,きちんと名乗ってほしいものだ。
恥ずかしながら豆腐に本物とニセモノがあることを知らなかったが,日本酒に関しては長年親しんでいる関係上,本物とニセモノが存在することをよく知っていた。このようなよく知っているものごとに引きつけて考えると,よく理解できる。これが論理的に考えるということの一例であろう。これからも,日本酒で一点突破的に創り上げた論理でもって,さまざまな対象の本物とニセモノを見分ける努力をしていきたい。