2007年02月17日

『綜合看護』2007年1号(現代社)

最新の『綜合看護』が届いた。まず最後の「編集者覚え書」を読むと、瀬江千史『育児の生理学』が近々改定されるとある。「おむつ」と「日光浴」に関して改訂があるそうだ。文字も大きくなるらしく、ページ数も320頁になるとのこと。つい最近、『育児の生理学』を読み返したのだが、20年前の著作であるにもかかわらず、その高み、あるいは論理性に圧倒されてしまった。当時既にここまでの解明がなされていたのか、という思いである。育児相談の形をとっているものの、内容は体系的であり、論理的に一本筋を通したものになっている。人間の体の仕組みや認識に関して、ごく大雑把な全体像が描けるという意味でも、非常にすぐれていると思った。世の父親・母親(や、もうすぐその立場になる者)にはもちろん読んでいただきたい。しかし、それだけではなく、医学生や看護学科学生にも、入学後すぐに読んでいただきたい書である。

さて、今回も一読後の感想を書いておこう。


なんごう つぐまさ が説く看護学科 ・心理学科学生への
  “夢” 講義(33) ―看護と武道と認識論 /南郷継正

看護学や心理学で一流を目指すなら、哲学や学問に関する基礎としての教養が必須であるという内容。

『武道講義第二巻』からの引用があるが、その中で思想の科学研究会編『現代科学読本』の中の提議が紹介されている。その後「これらの小論を提議した数人の人々はただの一人を除いて歴史の歯車に粉砕されてしまっている」とあるが、その歴史の歯車に粉砕されてしまわなかった一人とは誰のことなのか? 『武道講義』を読んだ時から疑問で、この本を入手しようと試みたが、全く入手不可能だった。(ちょっと調べてみると、どうやら武谷三男っぽい。思想の科学研究会の創立同人は、「武田清子、武谷三男、都留重人、鶴見和子、鶴見俊輔、丸山真男、渡辺慧」で、この中でいうと、武谷三男くらいしか考えられないから。)

また、『“夢”講義』第二巻の発刊も予告されており、その目次も載っている。今回も連載でいうと10回分くらいがまとめられているようだ。


次代を担う看護学生・医学生への医学概論教育 講座(16)
  ―[連載] 第2部・第5回 /瀬江千史・本田克也・他

医学生がまず学ぶべき専門課程の全体像とは、医学体系の一般論であるという内容。ベルナールを評価して、本来の医師としての学びは、「臨床→基礎→臨床」という否定の否定の流れでなければならない、とも説かれている。

最後には、常態論、病体論、治療論が三角形の中に関係付けられている図が載っている。そして、「実は、この図の体系性、すなわちつながりを理解してもらうには、『医学体系』の要ともいうべき重要な概念の理解を必要とするのであり、それを理解するための図をもう一つ示さなければなりません」と述べられている。「重要な概念」というのは、おそらく「病気」(あるいは「病態」?)のことであり、もう一つの図とは、間違いなく『看護学と医学(下巻)』p.268の「図2」であろう。初めてこれらの図を見た時の感動といったら、とても言葉では言い表せない(beyond description)。これぞ論理!というか、これぞ学問体系!と思ったものである(あっ、言葉で言い表してしまった)。


初学者のための 『看護覚え書』 (12) /神庭純子
  ―看護の現在をナイチンゲールの原点に問う

うぉーーー!!!! また来た!!! 感動の震えというか寒気というか、背中の真ん中あたりからスタートして、徐々に上に伝わっていき、最終的には脳を揺さぶる、そんな感じの例の感覚だ。少し長いが、その震えが起こった箇所を引用して、終わりにしたい。

 そもそも弁証法は自然・社会・精神の一般的な運動に関する科学であるといわれています。これはどういうことなのだろうか、というオサライを少ししておきます。
 少し論理的に説くなら、弁証法というのは全世界の一般的な運動の科学、あるいは運動の一般的な科学のことです。このように説くと、オヤと思う方たちがいるはずです。
 一般的な運動と運動の一般的(一般性)とはどういうことなのか、つまり「(原文のママ)同じようなことなのに、わざわざ書きかえているのには何か意味があるのか、それとも違うもの(論理)なのか、と。
 端的に答えておきます。これは単なる言葉の使い方の違いではありません。中身(構造)が大きくも小さくも異なることになるからです。
 一般的な運動というと、運動そのものをまずアバウトに共通性をもつものとしてとらえるところから始まります。
 わかりやすくは「宇宙は変化(運動)していますね。大空の星たちは移動(運動)していますね。地球の状態も変わって(運動して)いっていますね」といったレベルのとらえ方をいうのです。
 このように、運動(変化・発展・消滅)を大きくアバウトに全体を一つの像としてみつめていくことから、対象の研究がはじまります。これが、一般的な運動という簡単な中身の説明です。
 では、運動の一般性とはどういうことでしょうか。
 これは、運動している事物・事象を眺めてみると、それは個々の運動=個別的な運動、すなわち、事物・事象が、(観念論的に説けば)それぞれの思惑で自分流に運動(変化・発展・消滅)しているように見えます。でも、このどの事物の運動、事象の運動をとってみても、必ず一般性をもっているのだ、というところから研究を始めることが大切だということです。
 ですから、弁証法の学びとは、大きくアバウトに運動としてとらえることと、小さな個々の事物・事象の変化・発展・消滅などのありかたを、大きく一般性としてとらえる訓練が必要だとこととの二重性(二重構造)で弁証法の学びは、始まっていくことになる、そうでなければ弁証法的にはならないという意味をもった概念規定なのです。
posted by 寄筆一元 at 17:46| Comment(12) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする