2007年01月29日

三浦つとむ読書会打ち上げ

先日、三回にわたる三浦つとむ読書会を打ち上げた。テキストは『マルクス主義と情報化社会』(三一書房)。1970年に書かれた7つの論文を収めた論文集であるが、「流石三浦つとむ!」と感嘆せずにはいられないものばかりだった。

「唯物史観小論」では、一般論を抽象する理由から説かれていた。「科学の体系と哲学の体系」は、南郷学派の完成された学問体系論、学問構築論からするなら、未熟といえないでもない気がした(例えば、「本質論」という言葉が出てこない)が、それでも、科学と哲学の体系の違いは分かりやすかった。今回扱った論文の一つである「断絶発想の流行」では、つながっているとともにつながっていない(相対的独立)という観点の必要性が、くり返し説かれていた。

また、最後の論文である「サイバネ発想のタダモノ論」では、弁証法と形式論理の有効性について、次のような記述があった。

「『すべての対象』『あらゆる問題』に採用されねばならぬ方法などというものを考えること自体が、わけのわからぬ頭の悪さの生んだ非科学的発想である。マルクス主義者と自称する人びとの間にも、これと同じ非科学的発想を信じている者がいる。彼らは弁証法を絶対化して、これこそすべての対象に普遍的に採用されねばならぬ方法だと主張するのだが、なんぞはからんその弁証法こそ、そんな万能の方法は存在しないのだという論理を提出しているのである。方法は対象から規定される。個別化学のそれぞれの分野は、それぞれの対象の特殊性から規定された特殊な方法を必要とする。……特殊性もそれなりの普遍性を持っているから、特殊性を正しくつかむための普遍性からの媒介という意味で、普遍的なものをとらえる必要があるし、その意味で諸科学の建設に共通した方法も考えねばならぬのだが、もっとも普遍化したところで運動し発展する対象と静止し固定した対象という対象的特性が残るから、そのために弁証法と形式論理というそれぞれ限界を持ち補い合う二つの対立する方法が両立することになった。」(pp.298-299)


三浦つとむもこういうことを言っていたのか、と思ったしだいである。

さて、読書会終了後、飲みながらメンバーの近況などを聞いた。まずS君である。やはりこの人は凄い!と思ったのは、既に『看護のための「いのちの歴史」の物語』を、3回通読したということだ。本文の重要箇所には赤鉛筆で線が引かれており、欄外には内容を理解するための図がいたるところに書き込まれている。彼は『綜合看護』の連載論文も、10回や20回は軽く読み込んでいた。今回の読書会で扱った「断絶発想の流行」の中に出てきた組織の「柔構造」・「剛構造」は、いのちの歴史の哺乳類・爬虫類と論理的に同一であるとの指摘や、組織が大きくなると指揮者なしにはやっていけないのは、いのちの歴史における魚類段階で運動器官と代謝器官の分化によって統括器官が必要となったのと論理的に同じだという指摘などは、学びの成果の一端というか、問いかけ像がそれだけの実力を持つほどに勉強しているというか、そんな気がした。彼は、経済史にしろ何にしろ、特定の分野を学ぶときは、やはり基本書をくり返して読まなければならない、ということを力説していた。また、山田某の会計の本2冊と、予備校教師細野某の経済の本3冊を勧めてくれた。読まねば。

次にKちゃんである。彼はアカデミックな世界の超エリートコースを突き進んでいる。この4月からは某有名国立大学で経済史を教えることになっている。そのシラバスを見せてもらった。学部生用の経済史の講義では、「経済史の視角」を説いたあと、古代から現代に至るの経済の発展の大きな流れを説いていくというものだった。このような経済史全体の流れを説く講義というのは、大学にはめったにない気がする(普通は、ある特定の時期の特定の地域の経済を説くのみであろう)ので、非常に面白いものになる気がした。一回聴きに行きたいと思っている。ただ、一つだけ不満を述べれば、シラバスを見ても三浦つとむ・滝村隆一を学びました、ということが読み取れない。言葉だけでも、「<共同体−即−国家>と経済構造」とか、「狭義の国家による経済統制」とか何とか、一目で滝村読者だと分かるようにしていただければ、僕的には盛り上がったのだが。その点、S君が某所に寄稿した書評などは、南郷学派の先生方がよく使われる言葉がちりばめられており(おそらく、本人は無意識的に使っているのであろうが)、そういう点でも楽しめるものだった。

最後にO君は、なんでもこれから超有名人に会いに行くのだという。その超有名人に関する卒論を書いた関係で、直接お会いできる機会を持つことができたらしい。僕も三浦つとむが生きていたら、卒論などとは関係なしに、会いに行ったのだが。またO君は、今年の4月から超有名大学院(?)の院生になるので、院での研究の基礎を固める意味でも、これから4月までの間に、専門たる教育の歴史に関して徹底的に学ぶらしい。目標は、中学生に分かるように、1時間で教育の歴史を説けるようになることだという。これは楽しみだ。実際にプレゼンしてもらって、僕も教育の歴史を学びたい。将来の夢として、『医学教育 概論』の教師版を書きたいともいっていた。原田隆史や向山洋一のような、理念を持った学校教育の実践家に学びつつも、それこそ自前の弁証法・認識論と直接に、自前の教育学概論を創ってほしいものだ。

次回からは「いのちの歴史」読書会になる。最初のレジュメは僕が書くことになっているので、何回も読み込むとともに、図を駆使した分かりやすいレジュメを創りたい。
posted by 寄筆一元 at 15:47| Comment(4) | TrackBack(0) | 京都弁証法認識論研究会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月20日

本田克也・加藤幸信・浅野昌充・神庭純子『看護のための「いのちの歴史」の物語』(現代社)

本田克也・加藤幸信・浅野昌充・神庭純子『看護のための「いのちの歴史」の物語』(現代社)が、発行日の翌日、19日に届いた。さすが現代社、仕事が速い!! というか、予約までして楽しみにしている読者の気持ちがよく分かっているというか。さっそく読了した。

南郷継正師範の読者や、季刊雑誌『綜合看護』(現代社)の読者なら自明のことであるが、本書で説かれている「いのちの歴史」とは、「生物の歴史」とは違う。すなわち、「地球上に存在しているありとあらゆる種としての実体の歴史、つまり生物体のたどってきた道(過程)」(p.5)を説いたものではない。そうではなく、「その生物を生かし続けているもの、すなわち『いのち(生命)』自体の変化・発展の歴史に着目」(同上)したばあいに浮かびあがってきたもの、つまり「『いのち』はどのように生まれ、どのような姿や形をとって現代の人間まで発展してきたかの、壮大なパノラマ図」(同上)を説いたものである。

本当に、超・超壮大な歴史が説かれてあり、これ以上壮大な世界の捉え方はないといえるくらいである。しかし、「過程を含めて全体」なのであるから、人間という存在をきちんと理解しようとするならば、その人間にまで至った過程=いのちの歴史をしっかりと学ばなければならない、というのは当然である。本書でも、「いのちの歴史」を学ぶ意義が、くり返し説かれている。例えば、以下である。

「『いのちの歴史』を学ぶことによって人間に関するどんな問題も、自分の力でその答えを探っていくことができる実力がつくのです。」(pp.17-18)
「あらゆる人間の問題そして人間を生んだ自然の問題、人間がつくった社会の問題を解く鍵は、『いのちの歴史』の物語にあります。」(p.31)
「人間は、生き物の頂点として、高度に発達した脳をもち、認識の働きですべての活動が統括されています。体の仕組みも働きも複雑怪奇であり、それを理解することは極めて困難なように思われます。しかし、それはそこまで発展してきたからこそであり、初めは単純なものからここまで発展してきたのです。そしてついには生命体は『認識』あるいは『こころ』というものをもつに至ったのですが、いささか文学的な表現をすれば、『いのち』が咲き誇ったのが『こころ』であるということもできるでしょう。したがって『いのちの歴史』の物語を基礎とすれば、われわれの『こころ』の謎を解くこともできるのです。」(p.33)


「こころ」の謎を解かねばならない僕としては、当然に熱心に学ぶことになる。というより、歴史性をもって生きたい人間は、すべからく学ぶべき必読書(a must)である。

本書は『綜合看護』に連載された論文が書きなおされたものである。ここには、『統計学という名の魔法の杖』(現代社)と同じく神庭純子氏が関わっているそうだ。また、第14章は、連載にはなかった追加部分だが、瀬江千史氏が執筆されている。ここは調べてみると、瀬江氏自身が『綜合看護』に連載されていた論文「脳の話」の第19回〜第21回(『綜合看護』2005年4号〜2006年2号)がもとになっている。

さて、前回引用した目次を見ても明らかだが、本書は、同じ歴史がらせん状にレベルアップしながら、くり返し説かれている。そのため、初めはアバウトに全体像が描け、徐々にその発展の構造や意味、必然性が分からされてくる、という感じである。もちろん学術論文ではなく、あくまで「看護のための」という条件付きであるから、厳密な論証のようなものは端折っている部分もある。しかしその分、物語として、イメージしやすく、分かりやすい記述になっている。

それでも、今回通読してみて、やはり難解であった。特に、生命体誕生の部分と、哺乳類(胎生+授乳)への発展の必然性の部分が、正直十分に理解できていない。つまり、像としてイメージできない。くり返しくり返し学んでいくしかないだろう。(読んでいて少し思ったことだが、CGか何かを使って、この「いのちの歴史」をビジュアル化できないものだろうか?)

ちょっと理解が進んだ点もあった。それは、カイメン段階→クラゲ段階・魚類段階→両生類段階・哺乳類段階という発展や、初期哺乳類→サル→ヒト・人間という発展は、大地から離れて、大地へ戻るという、否定の否定としての発展であるということが、何となく分かった点である。

前回気になると書いておいた「『いのちの歴史』は『こころの歴史』に続く」という節は、端的には、「こころの歴史」が既に南郷師範によって「“夢”講義」として説かれているので、次はそちらを学べ、ということであった。なるほど。(そういえば、『“夢”講義』の次の巻は、もうそろそろでるんじゃないか?)

誤植らしきものもいくつか発見した。p.50の「他の兄弟惑星である金星・木星」は「他の兄弟惑星である金星・火星」の誤りだろう。これはほぼ確実。p.65の「史上最高の哲学者とされるソクラテス」は、ちょっとあやしい。連載当時のママだが、一般的・常識的にはソクラテスが史上最高の哲学者とされることもあるのか? 最後に、p.270の「それをさらに弁証性豊かに説ききってくれたのが神庭純子です」の部分。「弁証性」ではなくて「弁証法性」ではなかろうか?

それはともかく、僕にとっては、三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)、海保静子『育児の認識学』(現代社)、南郷継正『“夢”講義』(現代社)に次ぐ基本書の登場である。それぞれ100回は読まないダメだ。それも、単に読むだけでなく、実践・事実に繋げて読んでいきたい。
posted by 寄筆一元 at 04:25| Comment(4) | TrackBack(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月18日

『看護のための「いのちの歴史」の物語』 発行!!

現代社のHPによると、本日、待望の『看護のための「いのちの歴史」の物語』 が発行されたようだ。

僕は予約しておいたので、明日くらいに着くのではないかと期待している。頼みますよ、現代社さん!

まだ予約・購入していない南郷ファンは、絶対に買いである。

(出産祝いをたくさんやったのに、そのことにはブログで全く触れていない鬼ーちゃんは、3冊くらい買えよ、このヤロー。)

以下に目次を引用しておこう。最後の方の、「『いのちの歴史』は『こころの歴史』へと続く」が、関心をそそる。

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第1章 プロローグ 「いのちの歴史」の学びは、人間の謎を解く
 
 第1節 「いのちの歴史」を学んでみませんか
 第2節 「いのちの歴史」を学ぶと何が見えてくるのだろう
 第3節 人間は「いのちの歴史」をくり返しながら生きている
 第4節 看護一般論における「いのち」とは
 第5節 ナイチンゲールの「生命の法則」とは
 第6節 見事な看護師になるために本書を!

第2章 大宇宙の中での、私たちの太陽系はどのようなものだろう
 
 第1節 私たちの太陽系の誕生
 第2節 地球誕生の特殊性を見てみよう
 第3節 地球の化学的変化が生命現象へと変化した

第3章 「いのちの形成(生命現象)」は地球現象として始まった
 
 第1節 地球は月により特殊な惑星に変化した
 第2節 地球に起こった「特異現象」とは
 第3節 最初の「いのちの形成(生命現象)」の中身は何だろう
 第4節 「いのちの形成(生命現象)」の構造を見てみよう

第4章 「いのちの形成(生命現象)」過程の謎を解く
 
 第1節 「いのち」の起源の問題は学問上の大問題であった
 第2節 大哲学者ゼノンの問題との類似性を説くと
 第3節 「いのち」の起源の謎解きは、ゼノンレベルの実力を要する
 第4節 「いのちの形成(生命現象)」を生んだ地球の大異変とは何か
 第5節 「いのちの形成(生命現象)」からその実体化への過程(1)
 第6節 「いのちの形成(生命現象)」からその実体化への過程(2)
 第7節 「いのちの形成(生命現象)」の謎解きは論理と事実の統一として(1)
 第8節 「いのちの形成(生命現象)」の謎解きは論理と事実の統一として(2)
 第9節 「いのちの形成(生命現象)」過程を学問的に解くことはなぜ必要か
 第10節 「いのちの形成(生命現象)」を生んだ地球の二重性を知ろう
 第11節 「いのちの形成(生命現象)」過程を具体的にイメージしてみよう

第5章 「生命体の歴史」は自らが生みだした水の発展とともに
 
 第1節 「いのちの形成(生命現象)」のあり方が地球に水を生みだした
 第2節 「生命体の歴史」とは単細胞から人間までの進化の歴史である
 第3節 生命体の進化がたどった各段階を簡単に見てみよう
 第4節 単細胞段階の誕生の意義を知っておこう
 第5節 単細胞段階からカイメン段階へ、さらにクラゲ段階へ
 第6節 魚類段階の誕生の意義をまじめに知ろう
 第7節 「系統樹」を「生命体の歴史」としてとらえ返すと・・・

第6章 「生命体の歴史」は運動形態の発展として理解しよう
 
 第1節 細胞膜を形成し単細胞段階へ
 第2節 大地(岩石)に固着するカイメン段階へ
 第3節 海水に浮遊するクラゲ段階へ
 第4節 海流の中を泳ぐ魚類段階へ
 第5節 海でも陸でも生きられる両生類段階へ
 第6節 生命体も地球もこの頃は可塑性に富んでいた

第7章 運動形態を担う生命体の構造の発展を知ろう
 
 第1節 カイメン段階からクラゲ段階への運動形態の発展
 第2節 強烈な海流を泳ぎきる魚類段階の運動形態
 第3節 柔軟性と硬質性を合わせもった魚類段階の生命体
 第4節 魚類段階における運動器官・代謝器官・統括器官の分化
 第5節 人間の体の構造の理解に必要な魚類段階

第8章 地球の激変に対応して、両生類段階から哺乳類段階へ
 
 第1節 生命体は大地とのつながりで生き続ける
 第2節 両生類段階は海から陸への過渡期の生命体として
 第3節 爬虫類は生命体の進化過程での傍流である
 第4節 進化の本流となった哺乳類段階の意義をわかろう

第9章 哺乳類段階の誕生(1) ―卵生から胎生への過程的構造
 
 第1節 卵生から胎生への謎は地球の大変化にある
 第2節 卵生とは系統発生をくり返すための仕組みである
 第3節 水中の卵生と陸上の卵生との大きな違いを知ろう
 第4節 個体発生は環境とともに系統発生をくり返す
 第5節 哺乳類段階が誕生するまでの地球の変化を見てみよう
 第6節 哺乳類段階が誕生した地球の大激変とは何だろう
 第7節 環境の激変に対応した胎生の仕組みの見事さとは

第10章 哺乳類段階の誕生(2) ―胎生・授乳の必要性
 
 第1節 卵生は地球環境との相互浸透のあり方である
 第2節 哺乳類段階は胎生によって系統発生をくり返す
 第3節 地球の大激変に適合するための胎生・授乳とは何か
 第4節 人間が人間として育つための母乳の大切さを知ろう
 第5節 地球の大変動は生命体との相互浸透によって起きた
 第6節 大変動の中での哺乳類段階への発展の意義とは何か

第11章 哺乳類段階でのサル(猿類)への道
 
 第1節 哺乳類段階は植物との相互浸透で大きく発展した
 第2節 哺乳類はなぜ木に登ってサルになったのか
 第3節 生命体の体の構造の発展過程をくり返し説く
 第4節 哺乳類の代謝・運動・統括器官の一体としての発展
 第5節 「いのちの歴史」から解く狂牛病の謎とは

第12章 サルへの道は植物の発展とともに
 
 第1節 目まぐるしい環境の変転によってサルへ
 第2節 なぜサルは木に登ることができるようになったのか
 第3節 陸上における動物と植物の助けあっての発展を見てみよう
 第4節 サルは草から木への成長とともに木に登る実力をつけた

第13章 ここまでの「いのちの歴史」をふり返ると
 
 第1節 次章の理解のために、前章をまでをふり返る
 第2節 地球の物質現象として始まった「いのちの形成」
 第3節 単細胞段階の誕生から魚類段階まで
 第4節 人間の体の原基形態的構造をもつ魚類段階
 第5節 哺乳類の特殊運動形態としてサルへ
 第6節 サルから人類への道

第14章 サルから人類への過程 ―脳の実体的・機能的発展とは何か
 
 第1節 木に登ることで分化した手と足が脳の発達をうながした
 第2節 実体的に発達した脳の像形成の変化とは何か
 第3節 脳の「問いかけ的認識」の芽ばえへの過程を見よう
 第4節 樹上から降りたサルはヒト(人類)への過程をたどる
 第5節 ヒトから人間への過程は労働によって発達した認識によって

第15章 エピローグ 「いのちの歴史」の学びを看護に生かすには
 
 第1節 「いのちの歴史」は「こころの歴史」へと続く
 第2節 看護には弁証法の学びが必須である

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posted by 寄筆一元 at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする