「唯物史観小論」では、一般論を抽象する理由から説かれていた。「科学の体系と哲学の体系」は、南郷学派の完成された学問体系論、学問構築論からするなら、未熟といえないでもない気がした(例えば、「本質論」という言葉が出てこない)が、それでも、科学と哲学の体系の違いは分かりやすかった。今回扱った論文の一つである「断絶発想の流行」では、つながっているとともにつながっていない(相対的独立)という観点の必要性が、くり返し説かれていた。
また、最後の論文である「サイバネ発想のタダモノ論」では、弁証法と形式論理の有効性について、次のような記述があった。
「『すべての対象』『あらゆる問題』に採用されねばならぬ方法などというものを考えること自体が、わけのわからぬ頭の悪さの生んだ非科学的発想である。マルクス主義者と自称する人びとの間にも、これと同じ非科学的発想を信じている者がいる。彼らは弁証法を絶対化して、これこそすべての対象に普遍的に採用されねばならぬ方法だと主張するのだが、なんぞはからんその弁証法こそ、そんな万能の方法は存在しないのだという論理を提出しているのである。方法は対象から規定される。個別化学のそれぞれの分野は、それぞれの対象の特殊性から規定された特殊な方法を必要とする。……特殊性もそれなりの普遍性を持っているから、特殊性を正しくつかむための普遍性からの媒介という意味で、普遍的なものをとらえる必要があるし、その意味で諸科学の建設に共通した方法も考えねばならぬのだが、もっとも普遍化したところで運動し発展する対象と静止し固定した対象という対象的特性が残るから、そのために弁証法と形式論理というそれぞれ限界を持ち補い合う二つの対立する方法が両立することになった。」(pp.298-299)
三浦つとむもこういうことを言っていたのか、と思ったしだいである。
さて、読書会終了後、飲みながらメンバーの近況などを聞いた。まずS君である。やはりこの人は凄い!と思ったのは、既に『看護のための「いのちの歴史」の物語』を、3回通読したということだ。本文の重要箇所には赤鉛筆で線が引かれており、欄外には内容を理解するための図がいたるところに書き込まれている。彼は『綜合看護』の連載論文も、10回や20回は軽く読み込んでいた。今回の読書会で扱った「断絶発想の流行」の中に出てきた組織の「柔構造」・「剛構造」は、いのちの歴史の哺乳類・爬虫類と論理的に同一であるとの指摘や、組織が大きくなると指揮者なしにはやっていけないのは、いのちの歴史における魚類段階で運動器官と代謝器官の分化によって統括器官が必要となったのと論理的に同じだという指摘などは、学びの成果の一端というか、問いかけ像がそれだけの実力を持つほどに勉強しているというか、そんな気がした。彼は、経済史にしろ何にしろ、特定の分野を学ぶときは、やはり基本書をくり返して読まなければならない、ということを力説していた。また、山田某の会計の本2冊と、予備校教師細野某の経済の本3冊を勧めてくれた。読まねば。
次にKちゃんである。彼はアカデミックな世界の超エリートコースを突き進んでいる。この4月からは某有名国立大学で経済史を教えることになっている。そのシラバスを見せてもらった。学部生用の経済史の講義では、「経済史の視角」を説いたあと、古代から現代に至るの経済の発展の大きな流れを説いていくというものだった。このような経済史全体の流れを説く講義というのは、大学にはめったにない気がする(普通は、ある特定の時期の特定の地域の経済を説くのみであろう)ので、非常に面白いものになる気がした。一回聴きに行きたいと思っている。ただ、一つだけ不満を述べれば、シラバスを見ても三浦つとむ・滝村隆一を学びました、ということが読み取れない。言葉だけでも、「<共同体−即−国家>と経済構造」とか、「狭義の国家による経済統制」とか何とか、一目で滝村読者だと分かるようにしていただければ、僕的には盛り上がったのだが。その点、S君が某所に寄稿した書評などは、南郷学派の先生方がよく使われる言葉がちりばめられており(おそらく、本人は無意識的に使っているのであろうが)、そういう点でも楽しめるものだった。
最後にO君は、なんでもこれから超有名人に会いに行くのだという。その超有名人に関する卒論を書いた関係で、直接お会いできる機会を持つことができたらしい。僕も三浦つとむが生きていたら、卒論などとは関係なしに、会いに行ったのだが。またO君は、今年の4月から超有名大学院(?)の院生になるので、院での研究の基礎を固める意味でも、これから4月までの間に、専門たる教育の歴史に関して徹底的に学ぶらしい。目標は、中学生に分かるように、1時間で教育の歴史を説けるようになることだという。これは楽しみだ。実際にプレゼンしてもらって、僕も教育の歴史を学びたい。将来の夢として、『医学教育 概論』の教師版を書きたいともいっていた。原田隆史や向山洋一のような、理念を持った学校教育の実践家に学びつつも、それこそ自前の弁証法・認識論と直接に、自前の教育学概論を創ってほしいものだ。
次回からは「いのちの歴史」読書会になる。最初のレジュメは僕が書くことになっているので、何回も読み込むとともに、図を駆使した分かりやすいレジュメを創りたい。