弟にとってこの4年間は、楽器の上達と後輩への指導という点で、弁証法・認識論的に得るものが多かったようだ。例えば、個別に指導していた後輩の演奏の仕方というか、楽器のかまえ方が、弟そっくりになったという。あるいは、ある曲の難しい部分のみをくり返して練習することによって弾けるようになったというエピソードもきいた。さらに、指揮者によって演奏の雰囲気が全く変わるというような話も聞いた。こういうことを、弁証法・認識論的に弟が説くわけだが、そういう実感のこもった話を聞くだけでも勉強になる。
何にせよ、0から初めてある程度のレベルまで上達するという経験は、それを材料に論理を引き出す訓練もできるし、自分自身の体を使って上達論の実験もできるわけだから、弁証法・認識論の像を、五感情像として創り出すには不可欠であると思う。僕自身も、時間とお金の許す限り、新たなものに挑戦したいという気がしている。