2006年07月25日

『学城(ZA-KHEM,sp)第三号』発行!!!

待ちに待った『学城(ZA-KHEM,sp)第三号』がついに発行された!!! 本日昼過ぎに家に送られてきた(3冊)。

南郷師範の弟子である悠季真理氏が、『武道の理論』の翻訳を始めるようである。今回は「まえがき」の英訳、ドイツ語訳、ギリシャ語訳が載っている。

さらに、南郷師範の東京大学生に対する講義が始まっている。こんな感じで、『学城』に講義録を載せていっていただけるとありがたいのだが。

しかしならが残念なことに、ここのところ塾の夏休み講習の準備と授業、それに某レポートに追われて忙殺している。はたしていつ読めることやら。
posted by 寄筆一元 at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月23日

freemindがいつの間にかバージョンアップ

フリーのマインドマップ作成ソフトfreemindが、知らない間にバージョンアップしていた。かなり便利になっている。pdf出力やjpeg出力ができるようになっていたので、以前つくった『心理学』(東京大学出版会)の目次をアップしておこう。また、FlashとJavascriptで、freemindのようにノードの開閉(?)ができる状態でアップできるということなので、そのファイルもつけておこう。最後に、試しにワードファイルもアップしておく。

心理学.pdf

心理学.jpeg

sinrigaku.html
posted by 寄筆一元 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月20日

最近考えたこと、実践したこと、発見したもの

認識論の基本技として、徹底的に量質転化すべき論理は3つくらいしかない。認識とは(問いかけ的)反映であること、認識とは像であること、観念的二重化ということ、である。

認識は対象の反映であるから、見事な対象を反映し続ければ、それに応じて認識は見事になり、歪んだ対象を反映し続ければ、それに応じて認識は歪んでゆく。原田隆史が説く、長期目標設定用紙を目につきやすいあらゆるところに貼るということも、ニューヨーク市長だったジュリアー二が実践したブロークン・ウィンドウ理論も、この論理に棹さすものである(庄司和晃風に書いてみたが、言葉の使い方あっているのか?)。僕は昨日、アリストテレス、カント、ヘーゲル、エンゲルス、三浦つとむの肖像画をB4用紙にプリントアウトして、机の前の壁の、仰ぎ見る位置に並べて貼った。本当はアリストテレスの前にゼノン、そしてこれら6人の偉人のうえに南郷継正師範の肖像画を貼りたかったのだが、両者とも入手できなかったので諦めた。これら偉人の顔を毎日毎日反映し続けることによって、自分の認識に変化が起きるような気がしている。

面白いブログを発見した。心に青雲というブログである。「心に青雲とは青雲の志を抱くこと。弁証法、認識論を踏まえ、空手、科学、芸術、時事問題などを論じます。」とある。玄和会の師範代の方が書かれているブログで、南郷継正師範の講義の内容など、一般の者には知ることができない貴重な情報が紹介されている。痛快である。是非ご一読を!
posted by 寄筆一元 at 00:09| Comment(5) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月10日

メールが消えてしまった

昨日、突然メールがほとんどすべて消えてしまった。生き残ったメールは、日本酒の購入記録用に、酒屋から来たメールを保存しておいたフォルダなど、はっきり言えばどうでもいいものだけ。以前も、一番重要なフォルダのメールがすべて消えてしまう事件があったが、おそらく、同じようなことが大規模に起こってしまったのだと思う。Outlook Expressを使っているのだが、メールのファイル自体は存在している。おそらく、これが何らかの原因で破壊されてしまったのだろう。6000円くらいするファイル復元ソフトでも買って、試してみようか。


P.S.
このブログをごらんになっている方で、昨日、一昨日くらいに僕にメールを送られた方は、僕が未読のままそのメールが消えてしまった可能性がありますので、再度送り直していただけると助かります。
posted by 寄筆一元 at 15:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月02日

PK、外す前に外している

ワールドカップ準々決勝イングランドvsポルトガルは、PK戦の末、ポルトガルの勝利。2対1とポルトガルが優位で迎えた最後のキッカーは、CMでもおなじみのクリスティアーノ・ロナウド。これを決めればポルトガルの勝ちとなる。蹴る前のクリスティアーノ・ロナウド、自信たっぷりで、非常に落ち着いた表情をしていた。絶対決まると思った。案の定、キーパーの動きを見ながら、フェイントを入れてのキック。見事ゴール右隅に決めて勝利をつかんだ。

このクリスティアーノ・ロナウドと対照的だったのが、決勝トーナメント一回戦のドイツvsスウェーデンの後半、ラーションのPKだ。前半は2対0とドイツがリードして迎えた後半。何とか反撃したいスウェーデンが、後半の立ち上がりにPKを獲得する。そのキッカーがラーションである。その表情がアップで画面に映された瞬間、僕は「絶対に外す」と思った。不安一杯の表情だったのだ。これは、実際に外してしまう前に、頭の中ですでに外している像を描いてしまっているのである。その像に支配されて、実際に外してしまうのである。ちょうど、跳び箱が跳べない小学生が、跳ぶ前に頭の中ですでに失敗しているために、その通りに失敗してしまうのと同じである。跳び越えている自分をイメージできないのだから、成功するはずがない。なお、蛇足になるが、向山式の指導法などでは、先生が手助けしてでも、すっと跳び箱を跳び越えることを体験させ、それによって自分が跳び箱を跳び越えるイメージを子どもに描かせることを重視している気がする。予想通り、ラーションはゴール上に外してしまう。決定的なチャンスを逃したスウェーデンは、このまま波に乗ることができずに敗退。

プレッシャーのかかるPKでは認識のコントロールが不可欠だし、そのためにも日頃から実践的に認識論を学んでおく必要があると思った。サッカーに限らずに、常に平常心でいるためには、認識論の学びが必須である気がする。
posted by 寄筆一元 at 03:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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