2006年05月31日

モンゴメリー『アンの娘リラ』(掛川恭子訳、講談社)

※今回も、『アンの娘リラ』の内容について触れていますので、未読でその内容を知りたくない方はご遠慮ください。

『赤毛のアン』シリーズの短編を除く最終巻。間違いなく、シリーズ中最高傑作!!!

主人公はアンの末娘・リラ。舞台は、第一次世界大戦中のカナダ、プリンス・エドワード島。今までの巻とは違い、戦争による暗く、重々しい雰囲気が漂っている。

アンの息子たちは、長男のジェムを筆頭に、次々に出征していく。詩人の次男・ウォールターは、戦地で詩を書き、世界的に有名になる。しかし、アンの息子の中では唯一、戦死してしまう。未来を予感する能力を持っていたウォールターは、死ぬ前の晩、自分の死を悟り、リラと牧師館の娘ウナに宛てた手紙を書く。凄く感動的な手紙で、涙が止まらなかった。

長男のジェムが出征する時、ジェムが飼っていたマンデーという名の犬が、見送りに駅についてくる。そして、そのまま駅に居座って、ジェムの帰りを待つのである。物語の最後に、四年半ぶりにジェムがその駅に帰ってくる。年老いてリウマチになっていたマンデーは、一気に若返り、ジェムに飛びつく。ここもまた、感動的な場面だった。

他方リラは、戦争孤児になったジムズをひとりで育てることになる。当初は子ども嫌いでワガママだったリラも、ジムズを育てていく中でジムズのかわいさの虜になり、徐々に成長していく。ウォールター最後の手紙に書いてあったウォールターの信頼に応えるために、必死にカナダ人女性としての義務を遂行していく。

第5巻『アンの夢の家』で結ばれたレスリーとオーエン・フォードの息子であるケネスは、出征前、リラにプロポーズしようとする。しかし、女中のスーザンのお節介のために、中途半端な状態のまま、戦争に出てしまう。「私は、婚約したのだろうか?」と心配するリラ。それはれっきとした婚約だと言って、リラを励ますアン。そして、最後にケネスが戦争から帰ってくる。「リラ・マイ・リラ、僕のリラだね?」と言うケネスに対して、リラの最後のセリフが「そうでしゅ」。最後はやはりほのぼのとした、明るい未来を感じさせる結末だった。

戦争中、息子や兄を戦争に送り出して、電話が鳴るたびに彼らの戦死を伝える電話ではないかとびくびくしながら、4年以上も生活するアンやリラ。そして、とうとう伝えられたウォールターの死とジェムの行方不明の報。想像を絶するほどつらく、気の遠くなるほど長く感じられた4年半であったと思う。アンやリラの苦しみに較べれば、仕事がうまくいっていないとか、経済的に困っているとかいうような自分の悩みなど、たかがしれているという気がしてきた。

今回、『赤毛のアン』シリーズを読んでみて、キリスト教の影響下にある庶民の生活ぶりを知ることができたのはよかったと思っている。また、電話が発明され、飛行機が戦争で使われるようになり、自動車が人々の生活の中に入り込んでくる、19世紀末から20世紀初頭にかけての世界を、具体的に見ることができたのも面白かった。何といっても、アンをはじめ、登場人物の認識の変化・発展が、ひとつの典型例として描かれており、そういう人間の普遍的かつ具体的な認識の動きに触れることができたことが、一番勉強になったように思う。
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2006年05月21日

大村はま『新編 教えるということ』(ちくま学芸文庫)



本物の国語力をつける「大村単元学習」で知られる国語教育家・大村はま氏の4つの講演をまとめた本。本書の裏表紙には、次のような紹介文が載っている。

「プロの教師としてあるべき姿、教育に取り組む姿勢について、厳しくかつ暖かく語る。教育にかかわる人をはじめ、教育に関心をもつすべての人々、とくにこれからの社会を担う若い人々に贈る一冊。」

まさにその通りに、専門職としての教師、あるいは教師の面目にこだわり、決して生徒の責任にせず自ら責任を負い、工夫に工夫を重ねる大村氏の教育者魂をひしひしと感じる本である。教師の技術を重視する点はTOSSに通じるものがあるし、「一人で判断するようにしつける」という点は、原田隆史の自立型人間の育成に通じるものがあると思った。

自分の教育実践にも参考になりそうなところというか、自戒しなければならないところがあった。少し引用しておこう。

「育てようとねらう力によって、対象と生徒を見つめながら、さまざまな方法を考えることができる、そこで初めて玄人、つまり専門職の教師ということになると思います。」(p.142)

「まず説明をして、『やってごらん』、これでおしまいになるような行き方は、魅力を生まないと思います。
 教室は、『やってごらん』という場所ではないからです。それを自然にやらせてしまう場所だからです。『もっとよく読んでみなさい』『詳しく読んでごらん』そういう場所ではなくて、ついつい詳しく読んでいた――そういう自覚もないぐらいに――詳しく読む必要があるのでしたら、その場で詳しく読むという経験そのものをさせてしまうところです。……学習そのものを、やらせてしまわないとだめだと思います。」(p.207)

ただ、「仏様の指」の話をもってきて、教え子が、困難を突破したのは「自分の力だと信じ、先生のことなんか忘れてしまってくれれば本懐である」(p.159)という主張は、先に紹介した杉浦容疑者と同じもので、何となく違和感があった。
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2006年05月20日

原田隆史『大人が変わる生活指導 仕事も人生もうまくいく』(日経BP社)



18日(木)に、原田隆史のテレビ出演が2本あった。一つ目は、ザ・ワイドのコメンテーターとしての出演である。草野仁が原田隆史にはあまり話を振らなかったような感じがした。二つ目は、ニューススクランブルでの教師塾の紹介だ。10分くらいの時間で、なかなかコンパクトによくまとまった紹介がされたと思う。教師塾への参加料が無料で、運営費はすべて原田隆史個人の貯蓄が当てられていることも、しっかり報道されていた。例によって、教師塾の紹介のVTRに、弟が映っていた。

そんな、メディア露出が増えてきた教育のエキスパート・原田隆史の新刊が『大人が変わる生活指導 仕事も人生もうまくいく』である。(念のためにいっておくと、この原田隆史と『声に出して読みたい日本語』の齋藤孝は別人である。)

大人向けに、原田式主体変容の理論とその具体的方法が説かれてある。この本を読んで、子どもや部下に「生き方モデル」を示せるリーダーが育てば、世の中がガラリと変わる、そんな予感がする素晴らしい内容だった。各章ごとに内容を紹介しよう。

「O時間目 仕事と思うな、人生と思え」では、自立型人間に生まれ変わらせるための指導、その中心にある「心づくり指導」がまとめられている。原田流、実践的認識論といった内容だ。以下の五つの方法で構成されている。

@心を使う
「『心を使う』とは、私が考案した『リーチング目標設定用紙』を使って、心の中にある思い、考えを文字にしていく作業です。自分の内面にある漠然としたイメージを鮮明にする作業ともいえます。また、思いを文字に映し出すことで、自分としっかり向き合うことができます。」(p.18)

A心をきれいにする
「『心がきれい』とは、心のコップが上に向いていて、物事に取り組む姿勢や態度が素直でまじめ、積極的な状態をさします。そんな時、人は高い目標にも真剣な態度で向き合えます。
 『心をきれいにする』とは、身の回りの目に見えるすさみと、心の中にある見えないすさみを取り除くことです。」(p.19)

その方法としての態度教育の徹底と奉仕活動。

B心を強くする
「『心を強くする』とは、今の自分の力でやれることを決めて毎日欠かさずに継続することです。前述のように心をきれいにするための清掃や奉仕活動であれば、なお効果的でしょう。」(p.20)

C心を整理する
「『心を整理する』とは、自分の心の中にある、過去の失敗や後悔などのマイナス要素を整理して、いつまでもそのマイナスにとらわれないようにすることです。」(p.21)

その具体的方法としての日誌。

D心を広くする
「自分の長所を生かして他人に貢献したり、持っているものを惜しみなく相手に与えると『ありがとう』の言葉が返ってきます。その際に『心が広くなる』のです。」(p.22)

日本精神の発揮。

「一時間目 大人にこそ生活指導を」では、ごく身近な日常生活の改善を通して、仕事や家庭がうまくいった実例が紹介されている。それら全てが、自らの「心づくり指導」の具体化として紹介されているために、「心づくり指導」そのものがよく分かるようになるし、その有効性も得心できる。最後の方では、理想のリーダー像が説かれている。

「ビジネスの現場に限らず、広い意味でリーダーにふさわしい人間をひと言でいうなら、私は生き方そのもの、人生そのものがお手本になる人だと確信しています。前述した通り、生き方モデルになれる人です。」(p.67)

「二時間目 理念と目標を掲げる」は、人生の理念について説かれている。吉田松陰を引き合いに出して、「高杉晋作、伊藤博文、山県有朋など明治維新の中心人物を、わずか二年半という短期間で輩出」するという業績は、「松陰先生の国を思いやる強烈な『思い、志、理念』があってこそ成し得た奇跡」である、としている。そして、「理念がないままに、真の目標を見つけることはできません。理念が定まってはじめて、目指すべき目標が、次々と見えてくるのです。」(p.75)と説き、「理念とは、目標に向かって日々上る階段を、しっかりと支える柱」(p.76)であるとまとめている。その後、理念を形成するのに役立つ日誌の効果についても説かれていく。なお、原田隆史自身の人生理念は、「日本をよりよくする自立型人間の育成」(p.108)である。

次の「三時間目 脳と心を鍛えるエクササイズ」では、「手書き、音読、アナログ」で行う脳に汗をかくエクササイズ法が紹介されている。具体的には、三分間作文とオープンウィンドウ64(別名マンダラワーク)である。こういったエクササイズで、自分の長所や仕事の楽しさをできるかぎりたくさん出し、情熱を語る多くのことばを蓄えておく、実践思考を鍛える、七秒間で相手の心にグサッと入り込む言葉を用意しておく、というわけである。最後には、自分を元気にする方法として、日誌、ストローク、セルフトークの他に、「感動するものに意図して触れること」を挙げている。ここで、元気が出るお薦めの映画やドラマ、アニメ(『オールド・ルーキー』『ナチュラル』『ブレイブハート』『パトリオット』『Mr.インクレディブル』『白い巨塔』『Dr.コトー診療所』『アルプスの少女ハイジ』)を紹介した後、次のように述べている。

「映画やドラマのシーン以外にも、元気が出た言葉、感動した思い出、先輩や上司から聞いたよい話などを、忘れないように書いておく。こうした元気のキーワードをたくさん持つことは、他の人にも元気を与える言葉をたくさん持つことになります。」(pp.127-138)

最終章は「四時間目 かかわり方を変えてみる」である。ここでは、「やる気を与えるポイント」として、「有能感、統制感、受容感」(p.156)という三つの内発的動機づけが紹介されていたり、リーダーの三つの顔ということで、「『母性』『父性』『子ども性』の三つの性をバランスよく使い分けて育てること」(p.158)の大事性が説かれていたりする。これらは自分の塾での指導にも生かせそうな気がした。こういった原田隆史が取り入れている心理学的知見は、最近購入したAtkinson and Hilgard's Introduction to Psychologyのような教科書で確認していこうと思った。成功曲線と心のツボの話も、実践に活用できそうだ。ストロークの重要性と注意点も再確認できた。

p.170から始まる「よき大人よ、夢を掲げ、同志をつくれ!」の節は、非常に感動的だった。少し長いが引用して、この本の紹介を終わりたい。やはり、どんな分野であろうと、革命的な仕事をされる方というのは、同じような孤独感を味わうのだという気がした。

「私は、問題のあった学校を立て直すとき、自分を裏切らない仲間、志をともにしてくれる同志がほしいと、切に願いました。しかし実際は、崖っぷち四面楚歌の状態が続いていました。
 というのも、志をともにしない人間に、ちょっとでも依頼心を見せれば、結局そこから、すべてをひっくり返されてしまうという経験が何度もあったからです。だから、何があっても自分を裏切らない仲間がほしかった。
 中学校を立て直すことはできましたが、そこで直面した問題は、日本の教育の問題でもありました。
 志を育み、自立心を芽生えさせることに、目を向けない日本の教育。スキルがすべてのように指導する風潮。忌まわしい事件の加害者がどんどん低年齢化していく異常な世の中。志のない人材が就職して、企業の体力もどんどん落ちていく。私の力だけでは、もはやどうにもならない。
 そこで、ある夢を抱きました。将来、教師を指導する先生のための私塾をつくりたいと。私に共感してくれる日本全国の先生方に、自分の志を伝えて育てていきたい。そして、志ある教師が責任を持って生徒を育てていくしかないと考えたのです。これが現在、力を注いでいる教師塾です。日本の教育や企業をプラスに導くためには、たくさんの同志を増やさなければなりません。
 たとえ四面楚歌でも、それを楽しんでください。悪いムードに決して流されることなく自分を貫いてほしい。かつての私がそうであったように。
 必ず自分の志に、心から共鳴してくれる人が出てきます。かかわりを絶やさず、その志の輪を一つひとつ広げていきましょう。いつか、あなたの時代がくるはずです。」(pp.171-172)
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2006年05月16日

市川伸一『学ぶ意欲の心理学』(PHP新書)



著者の市川伸一が『勉強法が変わる本』(岩波ジュニア新書)では割愛せざるをえなかった動機づけに関する問題。それを、この『学ぶ意欲の心理学』では専ら取り上げている。

全部で4章からなっている。第1章は「動機づけの心理学を展望する」として、学説史を踏まえた動機づけの心理学のレビューと、自分が提唱する「学習動機の二要因モデル」の解説がなされている。経営心理学における動機づけからマズローの階層性理論、それに外発的動機づけ・内発的動機づけの理論など、学説史がコンパクトにまとめられており、非常に勉強になる。市川が提唱する二要因モデルとは、学習動機を、学習の功利性と学習内容の重要性という二つの次元から整理したものである。その結果、従来の内発・外発という二分法で捉えたれていた動機づけを、連続した「程度問題」として捉えることになった。このモデルがどのくらい有用なのかは分からないが、正直ちょっとした思い付き程度に思える。

第2章は「和田秀樹氏との討論」ということで、外発的動機づけを重視する和田秀樹は自分の二要因モデルを誤解している、として、その誤解を丁寧に解消していく。一つ面白いと思ったのは、市川が立脚する教育心理学と、和田が立脚する精神分析は、その対象者が違うという市川の指摘。精神分析の対象者のように不適応に陥ってしまった人や、乳幼児、行動主義が対象とする動物一般、こういう対象に対して外的報酬が強力に作用するからといって、これを条件を無視して、全ての人に当てはまると主張するのは間違いではないか、と市川は批判している。つまり、対象の特殊性に応じて、そこから創りだされた理論にもまた特殊性があるということだと理解した。動物実験によって得られた知見には、特殊性もあれば普遍性もあるので、特殊性を無視して人間にも完全に当てはまると主張したり、逆に普遍性を無視して人間には絶対に当てはまらないと主張したりするのは、共に行きすぎであり、間違いである。

第3章は「苅谷剛彦氏との討論」。苅谷剛彦は、教育改革の基礎には俗流・教育心理学モデルがあるといい、このために子どもの置かれている社会環境、あるいは階層差が学習に及ぼす影響を見逃してしまうと主張する。言い換えれば、教育心理学的に、ミクロな視点だけで考えているのでは、教育問題は解決できない、社会学的に、マクロな視点から環境要因をも見ていかないとダメだ、という主張である。これに対して市川は、「俗流」と「正統」の違いを示し、「正統」派の教育心理学では、環境の影響を見ていると反論している。しかし、「正統」派の、学術的な教育心理学も、現場の先生に届いたり、国の政策に反映したりするときには、俗流化が起こる危険性も認めている。この章では他に、教育界の意識の時代的変化や、移転や領域固有性の問題などにも触れられており、第2章より面白く読めた。

最終第4章は「自分のやる気を引き出す環境づくりと意識づくり」というテーマで、市川が二要因モデルに基づいて具体案を提示している。塾の教育でも使えそうなものがけっこう紹介されていた。例えば、グループとしてがんばると何か報酬が出る、自分との競争をさせる、多重の動機によって支える、失敗した際の教訓帰納、使う場面から入っていく学習(基礎に降りていく学び)、などである。特に、失敗から教訓を引き出してメモをさせるというのはやってみたいと思った。同時に、紹介されていた畑村洋太郎『失敗学のすすめ』も読んでみようという気になった。

市川の本はけっこう分かりやすい。他にも持っているので、また読んでみたい。
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2006年05月15日

モンゴメリー『虹の谷のアン』(掛川恭子訳、講談社)

※今回も、『虹の谷のアン』の内容について触れていますので、未読でその内容を知りたくない方はご遠慮ください。

赤毛のアンシリーズ第7巻、『虹の谷のアン』。原題は、Rainbow Valley。原題が暗示しているが、もはやアンの話という感じではない。むしろ、アンの子どもたちと、牧師館の子どもたちの交流が中心になっている。

物語の前半には、メアリー・バンズが登場する。彼女は、アン同様孤児であるが、もらわれた家の奥さんに虐待され、家出する。その後、ミス・コーネリアに引き取ってもらって、めでたしめでたし。

後半は、メレディス牧師とローズマリーの結婚話が中心である。メレディス牧師は4年前に妻を亡くすが、ローズマリーに出会ってから彼女との再婚を考え始める。いよいよ結婚を申し込んだが、ローズマリーは姉との約束からこのプロポーズを断る。この時点で、結局最後には結婚してハッピーエンド、というのが見えていたが、具体的にどういう形になるのかは分からなかった。結末は、姉も結婚するので、その約束が解消されたということだった。

約束が解消されたものの、一度断ったメレディス牧師に対して、どう対応すればいいのか悩んでいたローズマリーのところに、牧師の娘ウナがやってきて、父がまだローズマリーのことを想い続けていることを告げる場面がある。ここは涙が出てきた。いいお話だ。

次は、短編を除くといよいよ最終巻である。今週中には読んでしまいたい。
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2006年05月14日

アイメンタルスクール主宰杉浦昌子容疑者逮捕

無内容な個人的メモ。

2月15日に放送され、原田隆史も出演していた番組(『緊急大激論スペシャル2006』“今、子供たちが危ない”こんな日本に誰がした「全国民に喝!」)に出ていたアイメンタルスクール主宰杉浦昌子容疑者が逮捕された。アイメンタルスクール(引きこもりの若者を支援するNPO法人)に入所した男性を、外傷性ショックで死亡させた容疑である。

番組で杉浦容疑者は、「卒業していく者には、このアイメンタルスクールのことは忘れるように言っている」などと主張していた。その他、具体的には忘れてしまったが、かなりの発言が番組で流されていた(原田隆史の発言はほとんど放送されていなかったのに)。杉浦容疑者の発言を聞いて、僕は直観的に、「なんだこのおばさんは。全くたいしたことないな」という印象を受けた。だからどうだということは全くないのだが、そういった印象を受けたことだけでも記録に書きとどめておきたい。
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2006年05月07日

李登輝『「武士道」解題 ノーブレス・オブリージュとは』(小学館)



前台湾総統・李登輝による新渡戸稲造『武士道』解題。同時に、日本精神=大和魂や武士道といった、日本特有の指導理念や道徳規範こそが、「人類社会がいま直面している危機的状況を乗り切っていくために、絶対に必要不可欠な精神的指針」(p.9)であるとして、そういった日本の伝統的価値観の尊さを世に問うという意図で書かれている。はっきりいって超お勧め。

第1部は「日本的教育と私」。台湾の日本統治時代に、日本人としての教育を受けた李登輝が、自己の体験を振り返り、戦前日本の教養教育の優秀性を説いていく。鈴木大拙や西田幾多郎、カントやゲーテから、カーライルを経て、新渡戸稲造に出会うまでの李登輝の魂の遍歴が、いきいきと描かれている。徹底的に本を読みあさり、その成果を人生に反映させようと思索し実践する、旧制高校的な雰囲気がよく伝わってきた。

第2部は「『武士道』を読む」。ここからがいよいよ『武士道』解題である。『武士道』と同じ章立てで、岩波文庫の矢内原忠雄訳から抜粋しつつ、義・勇・仁・礼・誠などの徳目について、自身の政治家としての生き方を振り返りながら解説がなされていく。李登輝の業績を知ると、李登輝が本当に『武士道』の精神に生きている!ということがよくわかる。まさに李登輝は日本精神の体現者である。

付録として、慶応大学の学園祭で行われる予定であった講演の原稿が収録されている(訪日ビザの申請が取り下げられ、この講演は実現しなかった)。タイトルはズバリ、「日本人の精神」。初出は『産経新聞』2002年11月19日付である。僕はこの新聞記事で既に読んでいたが、改めて読んで、また感動した。この講演では、日本精神の体現者として、台湾の発展に貢献した八田與一という人物が紹介されている。八田與一は、44歳の若さで、20世紀の初めに、戦後の日本における近代農業用水事業の象徴とされる愛知用水の10倍を超える規模の灌漑事業を成功させ、15万町歩におよぶ不毛の大地を台湾最大の穀倉地帯に変えた人物である。この八田の、公義=ソーシャル・ジャスティスを実践した人生が、興味深く紹介されているのである。

本書を読んで、新渡戸稲造はもちろん、李登輝の教養の深さにも驚かされた。プラトンやアリストテレス、カントやヘーゲルといったメジャーどころはもちろん、プロティノスやカーライルといった少しマイナーな思想家・哲学者についても、当たり前のように説いている。もちろん、中国や日本の思想家にも詳しいし、ともにキリスト教徒だけあって、聖書にも造詣が深い。それも単なるブッキッシュ・ラーニングにとどまらず、しっかりと血肉化している感じがする。

僕も旧制高校的な雰囲気に浸って、哲学史を勉強するとともに、『武士道』を評価している藤原正彦の『国家の品格』や、新渡戸稲造の別の著作である『修養』なんかを読んでみようという気になった。
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2006年05月04日

アイザック・アシモフ『アシモフの科学者伝』(小学館)



タイトル通り、アシモフによる科学者の伝記である。原題は、Breakthroughs in Science。30人の科学者・技術者の業績と生涯が生き生きと語られている。

もちろん、科学者・技術者のそれぞれの業績をしっかり説いてくれているが、それだけではない。「ロシアのピョートル大帝も、造船技術を学ぶためオランダを訪れたとき、時間をさいてファン・レーウェンフックの家を訪れ、彼に敬意を表した。」(p.63)というような小話や、「ニュートンの欠点の一つは、人の批判を聞き入れないことだった。彼は、たえずけんかをした。」(p.72)というような人となりについても触れられており、大変興味深い。

また、奇数ページの左側についている注や、吉川良正によるコラムもなかなか面白い。注には、本文で登場する他の科学者の業績が簡潔にまとめられていたり、エジンバラ大学が「世界で最初に女子学生の入学を認めた大学である」(p.189)というような豆知識も載っている。コラムでは、エジソンの数学的素養の欠如を暴露していたり、ゴダードのロケットに対する「ニューヨーク・タイムズ」紙の間抜けな論説を紹介したりしている。

巻末にはブックガイドも載っており、全体として充実した内容になっている。サクサク読めて勉強になり、おまけに面白い、というような感じの本だった。

なお、アシモフには類書で、『科学技術人名事典』(共立出版)がある。こちらは、1000人以上の科学者・技術者の生涯が、年代順に描かれている。アシモフの博学ぶりを示す著作であるとともに、資料的価値もかなり高い著作だと思う。
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