もう何度も読んでいるので、何となくは分かるのだが、しかし細かくみていくと、よく分からないところも未だに多い。たとえば、p.72の表題、「soziale Machtとpolitische Machtの相互浸透」がよく分からないという声が、読書会でも出た。politische Machtではなくて、Staatsmachtなら本文とも合致するので納得できるのだが。
また、p.80からの「国家的活動の二重化」の箇所は、スッキリとしない。「二重化」というのは、滝村国家論を学ぶ際の最重要キーワードだと思われるが、ここではおそらく<共同利害>と<特殊利害>の二重化だろう、というくらいしか分からない。
まあそのあたりは今後の課題として、2時間弱で読書会が終了。その後、京大近くにある飲み屋に行った。おそらく3年ぶりくらいだったが、店のおばさんを僕を覚えていてくれた。「弟さんのほうやね」などといっていた。ちなみにこの店、昔東京から来たOさんが、「小汚い店」と称したことがある。冷や奴を頼んだのに「今切れている」と断られたといって、ずいぶん不満げだったことを思い出す。
その後はマンガ喫茶で朝まで過ごし、早朝、帰途についた。京都の朝は寒かった。
以下、今回僕が用意したレジュメ。
滝村読書会 『増補 マルクス主義国家論』 2005年12月22日
「国家論と唯物史観」
(1)国家の発展
(A)国家権力の特殊性
国家権力=イデオロギー的な権力
Machtの総体としての社会全体に対して、国家意志への服従を迫る
(B)soziale Machtとpolitische Machtの相互浸透
soziale MachtのStaatsmacht化とStaatsmachtのsoziale Macht化
国家における<社会的=経済的>機能=社会全体の<共同利害>に関する業務
(C)国家における二つの機能
<政治的=イデオロギー的>機能
<政治的=イデオロギー的>性格の強いsoziale Machtの関与
<社会的=経済的>機能
各種の特殊法人を生み出し、<国民経済>との結びつきが緊密になる
(D)国家的活動の二重化
<共同利害>の<特殊利害>化 ex.<公共事業>
<特殊利害>が幻想上の<共同利害>として押し出される ex.<財政投融資>
※幻想的=形態+内容 <階級制>と<幻想性>の同一性
(2)狭義の国家と広義の国家
(A)狭義の国家としての把握
狭義の国家=国家権力 ←国家の実体論的規定
(B)広義の国家とは何か
広義の国家=イデオロギー的な支配の及ぶ範囲
(3)唯物史観とMacht論
(A)歴史における原動力の問題
唯物史観=市民社会の中に歴史発展の究極の原動力として<階級闘争>を探し求めた
歴史における個人の役割はMacht論を踏まえて理解する!
(B)MachtとAutorität
Macht=自然・社会・思惟にわたって、人間に能動的に働きかける力を
その過程的構造において把えたもの
Autorität=人間の意志関係を<支配的意志>の面から把握したもの
「狭義の国家と広義の国家」
(1)狭義の国家
(A)国家権力の生成
原始公権力:soziale Macht、氏族社会内部へのGewaltとしてたちあらわれることはない
↓社会的分業の登場
国家権力:イデオロギー的な第三Macht、社会内部の被抑圧階級に対してはGewalt
(B)国家の論理構造
狭義の国家とは
それ自体として→Macht, Organisation
全体の部分として→Organ
過程的構造において→Gewalt(国家的支配の過程それ自体)
Maschine, Werkzeug(経済的支配者による国家的支配の全過程)
(C)国家的支配とは何か
国家的支配=イデオロギー的支配+暴力的支配(直接的な統一)
狭義の国家の本質=特殊な抑圧強力
(2)広義の国家
(A)ヘーゲル的な広義の国家
ヘーゲルのいう国家=<神の意志>→<法>→<個人の意志>という意志の過程的構造
マルクス主義の国家=<経済的に支配する階級の意志>→<法>→<個人の意志> 〃
(B)マルクス主義の広義の国家
<広義の国家>の実体構造は、厳密な意味での<政治構造>という概念と一致
広義の国家とは
それ自体として→Die Zusamenfassung der Gesellschaft
過程的構造において(本質)→Maschine zur Niederhaltung
(C)この論文の反響について
滝村論文はこっそりと受け入れられている