しかし、滝村論文は難解ではあるが、自称哲学者が書くような無意味な難解さ、非論理的な難解さとはほど遠い(参考までに指摘しておくと、某有名マルクス主義哲学者で、某有名出版社版『哲学事典』の編者であるH.W.は、その娘婿の証言によると、「哲学者たる者、どんな簡単なことでも難しく表現しなければならない。難しければ難しいほどよい。自分にも分からないくらいがちょうどよい」などと、およそ学問というものを勘違いした発言を堂々と行っていたらしい)。滝村論文は非常に論理的であるために、くり返しくり返し読み込めば、徐々に分かってくる、というより、滝村の実力により分からされてくる、という性質の論文である。
実はこの『増補マルクス主義国家論』は、学生時代、社研というサークルで取り上げたことがある。このサークルは主にマルクス『資本論』を読み進める研究会と、現代社会の諸問題を取り扱う研究会と、科学的方法論を扱う研究会に分かれていたのだが、最後の科学的方法論を扱う研究会(略して科方研)で、僕とS君が主導して滝村隆一の学的方法に学ぼうという名目のもと、滝村国家論研究会に近いものを立ち上げたのだ。その時、科方研に参加していない一般会員向けに書いた文章=科方研ニュースがあるので、思い出とともにその文章をここに載せたい。まあ、今読むとおかしなことも書いているので、半分ネタだと思って読んでいただきたい。以下、Oのレジュメのあと、「科方研ニュースを読む」をクリックしていただけると、その科方研ニュースが読める。
読書会 2005年11月25日 O
『マルクス主義国家論』p13−68
1.マルクス主義の市民社会論
(1)マルクス主義の市民社会論(その一)
(A)「国家と市民社会」論のプラン
「国家と市民社会」論のプラン
=近代の政治構造全体の分析、究明であり、近代国家と近代社会のトータルな止揚を目的とした革命家の理論的プラン
『ドイツ・イデオロギー』以後のマルクス=エンゲルスの作業
・近代市民社会のより立ち入った分析
・近代の国家および政治の分析
マルクス=エンゲルスの政治理論上の活動は、プランの構想に大きく依拠しながら遂行された
→近代国家と市民社会のトータルな分析と究明のための歴史的=論理的な方法(視角)をさし示している
国家権力の把え方
従来のマルクス主義者・・・実体的に取り出し、機構的・機能的に論じる=形而上学的
マルクス ・・・公的権力と市民社会の様々な権力との関係において考察する
=対立物の統一・弁証法的
→「近代における国家と市民社会の分離=二重化」
=「公的権力と<社会的権力>との分離=二重化」
現代革命論の確立のためには
→近代国家論を、公的権力と社会的権力との不可分の関連において分析・究明
(B)Kraft,Macht,Gewalt
『ドイツ・イデオロギー』においてKraft,Macht,Gewaltを峻別し、連関を明確化
Kraft ・・・社会的諸力としての生産力や、その構成要素としての生産手段、労働力、あるいはMachtとして組織され結集されていない即自的な状態におかれた人間集団、、さらに自然の諸力などといった物理的に作用する諸力
Macht ・・・Kraftのうち、意志関係の創造を媒介にして、諸個人との有機的な関連において組織され構成され、社会的な力として押し出されたもの
Gewalt・・・人間に対して暴力あるいは強力として作用する状態におかれたすべての諸力
(2)マルクス主義の市民社会論(その二)
(A)Machtの総体としての市民社会
市民社会・・・生活資料を生産するためのMacht、人間を生産するためのMacht(2つを含めて生産の歴史的組織)および、この<生産の二種類>を媒介するところの物質的交通に従事するMachtといった諸Machtの総体によって構成される
唯物史観の定式(『経済学批判』序文)
市民社会=生活諸<関係>の総体・・・Macht的な構造をも含んだ関係を指す
意志関係を媒介にしない自然的関係の場合とは本質的に異なる
→19世紀の社会主義者:経済諸関係をMachtとして把えることは常識
−現実を正視し、ここから学ぶことを義務づけられる
cfレーニン・・・経済的権力の問題提起
市民社会の諸Machtは、何よりも諸階級のMachtとして把握されねばならない
支配階級・・・物質的生産・精神的生産においてMachtとして構成・支配
被支配階級・・一大Machtとしてブルジョアジーの諸Machtと対立・抗争→国家を組織(プロレタリア独裁)
(B)ökonomische Machtとしての資本
資本=社会的生産の内部において生産条件の所有者(資本家)が、生きた労働力の所有者(労働者)との間にとり結ぶ、意志関係の成立(契約)を媒介にした一の社会的関係の表現であり、<対象化された労働>が生きた労働を支配し搾取する手段になっている<関係>
意志の支配=服従関係の成立を前提→資本のMacht
資本のMacht・・・資本家のMachtとしてたちあらわれる
すべての権力がもつ2つの側面・機能
・分業に基づく倍加された力の獲得 ← 資本のMacht(ökonomische Macht)
・イデオロギーによる秩序の獲得 ← politische Macht(政治権力)とりわけStaatsmacht(国家権力)
(C)soziale Machtの発展
貨幣のMacht・・・高利貸→金融資本
資本家階級としての一大Macht ← 諸Machtの系列化・連合
Machtの縦の系列化・・・中小資本の小Machtを、下請け工場として系列化
Machtの横の系列化・・・電鉄会社によるスーパー経営などへの進出
巨大資本同士のMachtの連合・・・カルテル・トラスト・シンジケート
階級としての共同利害を押し出すための階級の連合Macht・・・経団連・日経連
経団連・日経連
内部・・・階級としての秩序の維持と実現を目指す
→<イデオロギー的>な性格が強い、soziale MachtとStaatsmachtとの中間
外部・・・階級としての共同利害を強力に主張する機関=Gewalt
近代国家の本質:資本家階級の共同利害を、社会全体の「共同」利害として強力に貫徹せしめる
2.マルクス主義の国家論
(1)国家と革命
(A)国家論における二つの見方
・マルクス以前の支配的な見方
→国家や国家権力が能動的な存在であり、現実的な諸関係としての社会は、それによってつくりだされるもの
・マルクス主義
→Machtとしての現実的な諸関係が、同じくMachtとしての国家をつくりだす
(B)政治革命と社会革命
<経済的>に支配する階級は、国家に対する支配を媒介にして<政治的>にも支配する階級としてたちあらわれる
政治的権力の獲得には、まず自己を市民社会において最も有力なMachtとして組織し結合しなければならない
政治革命の問題は同時に社会革命の問題として究明され提起されなければならない
(2)国家の生成をめぐって
(A)問題の所在
Politische Machtとしての国家の生成・発展についても、自然発生的な分業の発展とそれにもとづくsoziale Machtの形成・発展という現実的過程との関連において考察しなければならない
・「原始公権力→政治権力としての国家権力の成立」の過程の歴史的=論理的概括
・この移行の歴史的=具体的な形態および過程についての特殊的かつ各論的な分析と究明
→前者の作業は国家理論の低迷・混乱となって現出
原因は
・レーニン:氏族制度・原始公権力扱わず→無視して構わないという習慣
・意志論、Macht論の欠落
・原始公権力の理解へと進む人々が存在しなかった
(B)soziale Machtとしての原始公権力
氏族のサケムや隊長の権力は限られており、必要時に<氏族の意志>に従って行動するよう義務づけられていた
→原始公権力・・・soziale Machtの総体としての全氏族員によって構成
≠<イデオロギー的>Macht
(C)第三Machtとしての国家の生成
原始公権力・・・特定の経済的発展においてのみ合理的
→土台の変動と共に変革
国家が形成・確立されてくる歴史的=論理的過程
・地域住民の共同利害の処理・管理
・諸階級の共同利害の保護・配慮
↓
公的機関の登場
法の成立=公的強力の成立 ex警官、憲兵
↓(拡大)
<租税>登場・・・血縁的共同体にとどめ
国家生成の一般的概括において重要な視角
国家権力が、社会的分業による社会の諸階級への分裂とともに、第三のMachtとして形成され登場してくることを正しく把える
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