1991年に発表された内田康夫の旅情ミステリー。「自作解説」で本人が説いているように、「旅情ミステリー」というよりは「社会派」と呼ぶにふさわしい内容となっていて、大変楽しめた。
そもそも僕が内田康夫を読み始めたのは、例によって南郷継正師範が触れられていたからである。
「これはあまり関係ありませんが、一年にわたる私の執筆の苦しみを慰めてくれた二人の方に『ありがとう』の言葉を述べます。一人は私と同じ三流出身の浅見光彦さん(内田康夫作品中の名探偵)です。武道修業中の私に代って、諸国の旅をしてもらえました(と思っています)。楽しく夢の旅を味わえて助かりました。」(『武道講義入門 弁証法・認識論への道』pp.235-236)
ちなみに「執筆の苦しみを慰めてくれた」もう一人は、北島マヤさん(美内すずえ『ガラスの仮面』のヒロイン)である。もちろん、僕は『ガラスの仮面』を全巻持っている。こんなに面白いマンガはめったにない!! 初めて読んだときは、夢中になって、気が付けば12時間が経過していたことであった。
閑話休題、名探偵浅見光彦には不可思議な能力がある。一つは「予知能力」というべきものである。これは直観力が優れているといえそうだ。そしてもう一つが、「他人の視点に意識を入り込ませる」能力である。これは、弁証法・認識論の用語でいうならば、優れた観念的二重化能力=自分の他人化能力である。
「もう一つは、これも不思議なのだが、他人の視点に意識を入り込ませる――とでもいうような能力があるらしい。たとえば、田舎の駅で線路脇の農家の庭先にニワトリが遊んでいるのを列車の窓から見ていたとする。その次の瞬間、浅見は農家の土間に立つ老人の視点で、庭先の風景を見ているのである。こちらからは死角になっている垣根の下に咲くタンポポの花が、あざやかに見えたりする。早い話、御供所町の公園の穴に、全裸の死体を埋めたときの、犯人の視点にだって、立つことができたのだ。黒々とした夜のしじまの底で、ひときわ暗い公園の、さらに深い闇の底の穴に死体を落とし込んだときの、犯人のおぞましい心の動きさえも、疑似体験できたのである。」(『博多殺人事件』pp.93-94)
俳優北島マヤも持っているこの優れた能力を、浅見光彦は事件を解決する武器として活用する。他人の視点に立つことによって、これまで見えていなかったモノが見えてくる、繋がらなかったことが繋がってくるのである。
もちろん、警察による犯罪捜査においても、犯人の立場に立つことなど常識的に行われているだろう。しかし、浅見のこの観念的二重化能力は、一般人のそれと較べて、桁外れに優れている。つまり、精度が極めて高いのである。一般人のそれが自分の自分化レベルであるのに対して、浅見のそれは自分の他人化レベルである。だから、他の者が気付かないような盲点に気付き、それを事件解決の糸口にすることができるのである。『博多殺人事件』でも、浅見のこの能力によって、事件解決の糸口の一つが得られる。
さて、ミステリーの内容をここで紹介するわけにはいかないので、最後に一つだけ、内容とは無関係のことに触れておきたい。それは、「自作解説」の中に井沢元彦が登場することである。なんでも、博多取材の際に、「作家仲間の井沢元彦氏」が便宜を図ってくれたということらしい。この二人につながりがあったとは知らなかった。「井沢氏は現在、日本推理作家協会の理事ですが、いずれ理事長になる器にちがいありません。」(p.381)と内田康夫が井沢元彦を高く評価している点も、印象に残った。